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米津玄師

左折はいいけど、右折は難しい。
人が「早く移動する手段」を得てから、「傲慢」になったと言って置こう。

街の中心地で迷った時、地図を見て、「今ここ」という「現在地」を見る。
何を隠そう「スピリチュアル」で言う「今ここ」とは、このことである。

何十キロも「歩く」のは、自衛隊員でも難しい。
「行きは良い良い」のごとく、「え、帰りもか」と考えると、やはり「歩いて行く移動距離」は決まって来る。

そしてこれが「あなたの範囲」である。
そして「自転車」「車」、果てには「飛行機」という「移動手段」を手に入れたのは、「奇蹟」である。

ここで言うが、「偶然はない」などと「スピリチュアル」で言うが、そうではない。「奇蹟」こそが「ない」のである。
この意味がわかるだろうか?

人間たちは「自分以上の力を手に入れた」
これが「賢者の石」である。

その範囲に留まれということではない。
「賢くなれ」ということである。

「ここ」がどこなのか?
あなたは「地図」を見て納得する。
では、「ここから」「あそこに」行くにはどうしたらいいのか?

これが「距離」である。
この「距離」で「時間」が生まれたなどと言うバカがいたが、同じ場所に「じっと」していても、「時間は過ぎるのだ」

「普通に考えろ」と、この度、私は何回も言ってきた。
「押してもダメなら引いて見ろ」と、昭和の頃によく言ったのだが、
この度、ただただ「押し」しか知らないバカどもしかいなかった。

この度、玄師から習ったのは、多くある。
特別「ダサい」札幌民のファッションに対してリクエストがあったので、言って置く。
サンダルに素足はやめたらいい。
玄師は、私に「靴下を買え」と言って、私は高い靴下を買った。
「これにサンダルでいいんだよ」
そして玄師が、私のファッションをいちいちうるさく言った。
でも、慣れれば「そうだよな」と、思える。
あなたも「自由に決めて下さい」

前回「自由」の中で「自由」を探す、それは「宿題」だといったが、
この地球で「理由」の中で「理由」を探す、そんなバカげたことを繰り返しながらも「死ぬまでは生きなくちゃ」と言う、「滑稽」を演じる、
それが「人間たちである」と、言って置く。


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