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柚木菜ユキナさんと米津玄師

焼けるような暑さの中、到着した岡崎城。
危機感を感じるほど暑いその日、米津玄師さんと共に、ペットボトルのお茶を手に、岡崎城に入った。

その日はちょうど鬼太郎のイベントをやっており、入り口には「ねずみ男」のパネルが立っていた。

あまり暑がりではない私でさえ、水分を取りながらでないと、城の中を歩けない、「寒い方」が、「思考がさえる」などと言うが、確かにそうだと言える。

京都でも苦しいほどの暑さを味わったのだが、それは「海の中」を歩いているような苦しい暑さであり、これは「エアコン」の発明が「地球温暖化」に関係してようがなかろうが、ホテルに戻って「生きた心地」がしたものである。

「暑い」と嬉しいのが「北海道人」ではなかろうか?
「雪まつり」は、道民の知恵であろう。

愛知県にいた時は、車の「ナビゲーション」が必須であった。
高速は、当たり前に通る道路であり、「ETC」など当り前なのだが、米津玄師さんと一度高速道路で失敗したことがある。

多分、それは何か愛知県の人はわかるであろう。

「東名高速」と「新東名」、それは「新東名」の方が、若干早く「愛知から横浜」へ行けるのだが、米津玄師さんが「横浜のみなとみらい」に住んでいる。
行った人ならわかるだろうが、そこは高級住宅街であり、「赤レンガ倉庫」は、定番でありながら「観光の人」を裏切らない素敵な所である。

「横浜中華街」は、何度でも行きたいところである。
海の見えるホテルは、みなとみらいの観覧車と共に私の心に残っている。

「また行きたいけど」、多分叶わないだろう。
そう言ったら米津玄師さんは、「何度でも行けるよ」と言った。

「岡崎城」で味わった「暑さ」は、憧れであろう。
名古屋、京都は古里である。
「関ヶ原合戦」は、歴史の中にある。

「京都は冬は行けないよ」と、米津玄師さんは言った。
この意味がわかるのならば、あなたは「名古屋の人」と言えよう。

愛してやまない「名古屋」に、私はまた行きたい。
そう言うと、「俺もユキナを愛してるよ」と米津さんは言った。

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