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嫁のユキナ

「諦める」ことは、大切なことである。
スピリチュアルで言う「金星」は、「かね」すなわち「金」と、
「星」、ならば「地球(ここ)」のことであろう。

金沢に行った時、やたら「金粉」の入ったものがあった。
「金粉入り珈琲」なるものを、お土産に買った。
「兼六園」は、「庭師」なる人にはいいものかもしれない。
「盆栽」のワビサビではないが、素人には特に何の情緒もわかない。

「古い町並み」は、「高山」と似ている。
旅にハプニングはつきものだが、日頃遠慮していた私は、「今回は遠慮せずに行こう」と、日本家屋的な雰囲気が良い、「お茶屋」さんに入りたいと、
米津玄師さんに言った。

「二階がいい」と、米津玄師さんが言うと、お店の方が二階の部屋に案内してくれた。
米津さんと一緒に、甘味処をお茶と一緒に頼んで、誰もいないその店の一室でくつろいだ。

お店を後にした私たちは、そこから少し行った先にある「ひがし茶屋街」に向かった。

「「金粉」はアレルギーもあるから気を付けた方がいいよ」と言う米津玄師さん。
昭和の時代「18金の指輪」は、「結婚指輪」の象徴であった。

何でも「最初に口にした人」は、先駆者であろう。
あちこち旅した後に行った「石川県」は、どことなく何かの真似のような、そんな気すらした。
「ひがし茶屋街」を歩いていた時、電話がなった。
「仕事の電話だから」と、米津玄師さんは言った後、その電話に出ていた。

「携帯」とはよく言ったもので、いつでも私たちが「捕まる」、そして「捕まえることのできる」、発信機なものである。

「これからも一緒にいよう」
別れ際に米津玄師さんはそう言ったが、私にはそう思えなかった。
けれど今こうして「縁」があるならば、そのすべてに「あやかり」そして、
「死」と言う、ある種の「幸せ」を共に願いたい。

ここは「死」であるならば、あなたはどうするだろうか?
「逆さま」の世界なのだが、それに何の物議も醸し出さない、
それは「人間たち」が、今ある「当り前」に慣れ切ったせいであろう。

「俺はお前の「薬」だから」
米津玄師さんにしてみれば、私は美人らしいが、それは「私にしてみれば」有り得ないことでありましょう。

「好きだよ」と言う言葉こそが、すべての「真実」であるならば、私もそれに答えたい思いでいっぱいです。
「感情」を「理屈」の変えることほど、馬鹿げたことはない。
「名古屋」は、お忍びの町である。
「愛知」と名付けた意味を知って欲しい。

私は米津玄師さんと共に歩んだ「愛知」を愛してます。
この奇蹟を、皆様にも感じて頂けたら、米津玄師さんの苦労も、
見舞われましょう。

「死」とは何か?とことんまで考えた時、あなたはその「意味」を知るでしょう。

米津玄師
柚木菜ユキナ

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