球団ヒストリー18.ホワイトウェーブ第二章
欽ちゃん球団とのイベントから2年、クラブチーム正式登録からは約1年。
鵜狩道夫監督と斉藤巧コーチという、鹿児島ホワイトウェーブの初代指導陣は退陣なさった。
鵜狩さんのあとを受ける形で監督に就任したのは、末廣昭博さん。
実はそれって、ちょっと予定外の流れから。
熱心な指導に定評のある末廣さん。
もともとは鵜狩監督から、「コーチとして一緒にやらないか」と声をかけられていたそうだ。その依頼を受けるつもりで覗きに行った練習で、前出の事件を目の当たりにしたわけ。
「大変だったんですよ」
困ったような表情で、そのことについてはあまり多くを語ろうとはなさらなかった。
…私でも少し怒りを感じたグラウンドでのゴタゴタ。熱心な指導者ならなおのことだろう。多くを語らぬその様子に、この方の『野球愛』の強さが見えたのは私の気のせいかしら?
鵜狩監督の退陣後に國本球団代表が声をかけ、指導者不在となったチームの監督に就任した。
「僕は監督というより、技術指導をする方が合ってると思う」とおっしゃっていた末廣さん。でも船頭を失った鹿児島ホワイトウェーブという小舟にとっては、なによりの救世主!
と同時に、初代キャプテンを務めていた宮田仁志さんが転勤によってチームを離れることに。
指導陣とキャプテンの入れ替わりにより、ここから鹿児島ホワイトウェーブは第二章に突入することとなる。
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