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球団ヒストリー4.社会人野球という世界

「社会人チームを正式に立ち上げて、自分たちのような野球バカの受け皿を作ろう。そして鹿児島代表として都市対抗野球に出よう!」

一夜限りだったはずの鹿児島ホワイトウェーブ。
欽ちゃん球団に快勝したことで、正式にチームを立ち上げることになった。

チーム発足前からアドバイザーとして関わり、試合ではキャプテンとしてベンチ入りした國本正樹さんが、球団代表となった。


社会人野球って?

ところで野球というと、プロ野球と甲子園を連想する人がほとんどだと思う。私自身、30年以上にわたって野球に関わってきたが、社会人野球のことはほとんど知らなかった。

都市対抗野球ってつまり甲子園みたいなものなんだろう。
だから各県ひとチームずつ出場枠があり、チームを正式に立ち上げたら即鹿児島代表として都市対抗野球に出られるんだろう。

私はそう思っていたし、きっと当時のホワイトウエーブの選手たちもそう思っていたはず。

それを横目に、チーム唯一の都市対抗野球経験者、宮田仁志さんはこう語る。

「鹿児島玉龍高校時代、高いレベルで練習していたという自負があったけれど、明治大学に進んだら『全国レベルってすげぇ』と違いを見せつけられました。
そして朝日生命という企業チームに入ったら、さらにレベルが違う精鋭の集まりでしたね」

学生野球とは違い、生活の糧としての本業を持ちながらプレーする社会人野球。
その中でも企業チームは、企業戦士として働きながらも、毎日練習しプレーすることも仕事の一つ。それだけにプレッシャーもそうとうのものだったに違いないということは、疎い私でもわかる。
競技は違えど、2019年に放送されたドラマ『ノーサイド・ゲーム』でも企業チームの大変さが描かれていましたね。

そうやって野球を続けることは並大抵の努力、意志力ではない。続けられない選手も見てきたと宮田さんは語る。

都市対抗野球大会って?

そんな中で都市対抗野球というのは、確かに甲子園のように多くの社会人野球プレイヤーが目指す聖地ではあるけれども、予選も多く甲子園よりはるかに狭き門。
学校によって比較的力の差がはっきりしている学生野球とは違い、選り抜かれた精鋭ばかりを集めたチームがしのぎを削って出場枠を奪い合う厳しい戦い。

九州では、南九州1次予選を勝ち抜いて2次予選(※当時は1次予選のみ)に進み、そこからたった2チームだけが出場できるという非常に狭き門だ。甲子園には九州から8校出られることと(ものすごく単純に)比較しても、その厳しさは想像に難くない。
ちなみに2020年、鹿児島ドリームウェーブは南九州1次予選を勝ち抜き、10月の2次予選に進出を決めています!

たった一回勝っただけで「オレたちは強い!都市対抗野球に出よう!」なんて言っていることの甘さを、社会人野球の厳しさを、宮田さんは誰よりも知っていたわけだ。


しかしまぁ、知らないということは本当に強いもので。
宮田さんからは「なめんじゃねぇ」と厳しい言葉を投げかけられたが、球団代表の國本さんは早速チーム登録のために動き出すことになる。

そしてたぶん、すぐに「ヤバいことに手を出してしまった」と後悔することになるのです。

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