球団ヒストリー59.新時代~キャプテン交替
優しいキャプテン
解体の危機から九州制覇、全国大会初出場という激動の時代を牽引してきたのは、キャプテン芹ケ野拓選手。
当時の末廣監督との信頼関係は厚く、印象に残る選手として末廣さんは彼の名前を真っ先に挙げておられた。「真面目で一生懸命だった」と。
登録名簿を遡ると、社会人野球クラブチームとして正式に発足した2006年から在籍している芹ケ野さん。
チーム改革前の壊滅的出席率だった練習にも欠かさず参加し、とにかく野球が好きで仕方がない、ということがありありと伝わる選手だった。
共感性の強い優しい人柄。
あるときは「勝ちたいという気持ちがいちばん強いのは、國本代表と監督。多くの人が選手のために動いてくれている。だからこそ勝たなきゃ」とチームを鼓舞。「あれは嬉しかったなぁ」と、國本代表は目を細めた。
「やる気のないものは辞めてもらう」という代表の強い姿勢でのチーム改革を、芹ケ野さんは悩みつつも水面下で選手たちとのクッション役をしてくださったのだろう。
間違いなく、チーム存続のキーパーソンだった。
優しさから強さへ
鹿児島ドリームウェーブとチーム名を変え、初の全国大会出場を果たした2012年シーズンを終えたころ。
末廣監督は、守備の要であったキャッチャーの北迫太樹さんに声をかけた。
キャプテンの交替。
「拓(芹ケ野さん)は優しすぎる。これからはお前だ」
私はこれ、予想外だった。
末廣監督は芹ケ野さんのことをとても信頼しておられたから、できる限りキャプテンを続けてほしかったのではと思っていたのだけれど。
少し前まで公式戦では棄権を危ぶまれ、練習はほぼ週末のみ。
強くなりたいという気持ちはあれど、まずは試合をできる状態を作ることが最優先だった。
そんな時代を経て、きちんと練習に参加する選手だけが残り、練習日も増やして九州制覇し全国出場。目標であったクラブ日本一が射程距離に入ってきた。
より強くなること、勝負に勝つことの優先順位をグッと上げる時期に来ていた。
もう一つの理由
正社員ではなくアルバイト、いわゆるフリーターという立場で野球を続けていた芹ケ野さん。
それはおそらく野球を中心に据えたいがためのこと。
ちなみに私自身も同じ理由からフリーターを続けていた時期があったので、気持ちは非常に理解できる。
しかし仲間内では賛否が分かれていたようだ。
やはりここは”正社員”として仕事と野球を両立している選手がキャプテンに立つことがクラブチームの在り方としても相応しいのでは。そんな思惑もあったであろう。
先を見据えて
ひとくちにキャプテン交代と言っても退団によるものではなく、先を見据えチーム全体を考えてのこと。
このときはまだ、さらに前のキャプテン磯辺一樹さんも在籍していたし、そこに芹ケ野さんが加われば、新キャプテン北迫さんもこれほど心強いことはないはずだ。
個人的な意見だが、こうして経験者が新任者をバックアップしていく体制というのはとても美しいと思う。
こうして、2013年は北迫新キャプテンを先頭に走り出した。