球団ヒストリー70.積年の課題、練習場所の確保Ⅱ
なぜ今、このことについて書くのか?
ところで、今になって練習場所の確保について書こうと思ったのはなぜか。
ひとつは、実際に2024年現在のマネージャーさんが練習場の確保に苦心している様子を間近で見ているから。
もうひとつは、『球団ヒストリー67.初の試み、自治体との協定』を取材したときの疑問。なぜ社会人野球クラブチームが、自治体と協定を結ぶ必要があったのか?ということ。
そこには、とにかく練習場所を確保したいという強い願いがあったと知ったからだ。
逆になぜ、今までこのことについて書こうと思い至らなかったのだろう?とさえ感じるくらいに、この練習場の確保は球団創設時からの変わらぬ課題。
そして思い至ったそのときがいちばん早いわけで。
この課題を丁寧に描くことが遅れれば遅れるほど、なんだか解決が遅れるような気がしたためだ。
いや、書いたからといって解決するとも全く思えないのだが、なんとなく気が急いた。
裏の努力
球団代表國本正樹さんは、2006年から2018年まで日本野球連盟鹿児島県連の理事長を兼務していた。
日本野球連盟(JABA)とは、都市対抗野球や社会人野球日本選手権といった日本のアマチュア野球における最高レベルの大会を主催運営している団体。
そんな団体にも関わらず、公式戦を実施するにもやはり球場確保に苦心したという。
都市対抗野球大会に繋がる予選ですら、『南九州一次予選』では平和リース球場を使うには高い壁があった。
県の担当者や管理団体に直談判してみたものの色よい返事はない。
そういった背景から、正攻法で行くよりも遠回りでも裏を固めたほうがいいのか?と思いついたそうだ。
県議会議員さんとのつながりを持って平和リース球場を管轄する部署へ提言していただいたこともあった。
前述した自治体との協定(日置市、指宿市)や、鹿児島トップスポーツクラブへの認定といった裏の努力によって「練習で使えない理由をひとつひとつ潰していっているつもり」だという。
このほかにも、県議団が県外のスポーツ施設を見学に行く勉強会のコーディネートをしたり、2017年には県の『大規模スポーツ施設の在り方検討委員会』の委員を引き受けるなど奔走。
2018年からは県のスポーツ政策アドバイザーに就任し公的な立ち位置を得て、県のスポーツ振興全般に対する意見・調整など貢献してきた。
しかし、本当に一歩ずつ。
「全く変わっていないわけではない」けれど、いまだに練習場所の確保には四苦八苦しているのが現実だ。
チャレンジベースボールシリーズ
ある球場の担当の方が、知恵を授けてくださったことがあった。
「チーム主催の大会を作ったらいいよ」。
それなら、練習利用よりは優先順位が上がるから、ということらしい。
というわけで「鹿児島ドリームウェーブチャレンジベースボールシリーズ」というイベントが立ち上がった。
当初は平和リース球場を利用し、県外から企業チームを招聘してのエキシビションマッチのような形。
しかし当時の鹿児島ドリームウェーブは混迷中(これはのちに書きます)。
オープン戦の対戦相手として魅力的ではなかったのかもしれない。なかなか強豪を誘致できず、チーム内で紅白戦をすることも。
イベントとして申し込んでいるのに練習に利用すると、「大会じゃなくて普通の練習をしているじゃないか」という第三者の不満の声が聞こえてきたり。
なかなかに難しい。
それにこの方法は、その球場の担当者さんとの関係性で成り立っているものであって、制度自体が変わるわけではない。
担当者さんが変更になれば元に戻るのだから、場当たり的ではあった。
結局いちばん早いのは
「結局、強くなればいいような気がする」
と國本代表はつぶやいた。
いろいろ手を尽くしてきたけれど、なかなか制度や慣習を変えることはできない。
けれども鹿児島ドリームウェーブが鹿児島を代表する野球チームとして押しも押されもせぬ結果を出していれば、その慣習がくるりとひっくり返る可能性はある。
強くなるには練習場所が必要。
けれども野球少年の憧れのチームとなることができれば、教育施設としての平和リース球場を借りるハードルは下がりそうだ。
県外にも名の知れた「強いチーム」になれば、観光や地域振興の面でも地方球場も借りやすくなるのかもしれない。
卵が先か鶏が先かのジレンマがついて回る。
練習場所の確保という命題は球団創設以来20年近くずっと続いていて、球団スタッフがいちばん時間を取られている作業。
数年前からは、スポンサーでもある株式会社ゼンケイさんの総務部でその作業の多くの部分を担ってくださっている。
おかげさまでマネージャー氏の負担はだいぶ軽減されてもいるようだが、「練習場所がなかなか確保できない」という根本的な課題のクリアにはまだまだ遠い。