球団ヒストリー32.スカウト事始め
「ピッチャーいねぇなぁ」
鹿児島ホワイトウェーブ球団代表の國本さんがふとそう思ったのは、いつのころだっただろうか。
これまでも書いた通り、2008年は鹿児島で23年ぶりの都市対抗野球大会予選を開催。またクラブ選手権九州ベスト4、西日本クラブカップ準優勝と、創設からたった3年ながら確かな手応えがあった。
勝ち進むために必要なこと
『勝つ』ことが目標だったのに、にわかに『勝ち進む』ことができるようになって見えてきたのが、試合に出られる選手が少ないこと。
少し前の資料だが試合遠征の出欠表を見せていただくと…半分は「×」。
理由は「経済面」だったり「仕事」だったり、はたまたお子さんのチームなのかソフトのコーチをしていて、そちらの試合と重なっているとか…
いやそれが悪いわけではないが、ホワイトウェーブが優先順位トップではないメンバーがかなり多い印象だ。
加えて、投手の割合が低い。
2008年当時のメンバー表を見ると、選手28人のうち投手は8人。
これだけを見ると、高校野球になじみの深い私は「ピッチャーたくさんいるなぁ」と思ってしまうのだが、実際の試合を目の当たりにするとそれは大きな勘違いで。
だって、勝ち進むと2日間で3試合なんてこともよくあるし、場合によっては7連戦なんて可能性もあるとか!しかも社会人野球で完投ってなかなかないのだ。先発、中継ぎ、クローザーといて当たり前(場内アナウンスとしてはそのたびに所属企業や背番号もコールするのでなかなか忙しい笑)。
そもそも母数が8人じゃ、全員が必ず参加していても勝ち進むと投手不足になる。
ちなみに去年(2021年)は、選手31人のうち14人が投手。チームの約半数だ。現状、登録メンバーは試合があればそれが優先順位トップ。全員が揃って当たり前でも、このくらいの投手数が必要なのだ。
そうか、だから「ピッチャーいねぇなぁ」なのか。
誰がどう加入していたのか?
「実はこのころって、試合を全部見に行ってたわけじゃないんですよね」
球団存続のために代表になったものの、一人の経営者であり一家の大黒柱でもある國本さんにとって、当時野球はサブ。「野球は遊び、というわけではないけど」とはいえ仕事でもないわけで。夕方以降と土日を使って、チームに関することをしていた。
チームを立ち上げてしまえば、あとは自動的に動いていくんだろうと思っていた、とは以前お聞きした話だ。
だからか、このころの選手たちは「誰がどんなふうに加入したのかよくわからない」んだとか。たぶん、選手の知り合いなどが口コミで加わったりしていたのだろう。
それでもなんとかチームは続いているけれど、いざ勝ち進んでいくと選手層や人数の壁は厚かった。
「強くなりたい」
そんな想いもあってときおり大学野球を見に行くようになり、地元の大学の野球関係者とだんだんつながりができてきた。
そのうちに、いい選手を引っ張ってこられないか?と仕事中に、サブである野球のために、国分にある第一工業大学(現在の第一工科大学)に視察に行くようになった。最初は「仕事中である平日の昼間から野球のために動くって、抵抗があった」そうだけれど。
「まさかスカウトに行くことになるとは」
「まさか自分がスカウトに行くことになるとは思ってなかった」し、声をかけてもなかなか入団の話にまで行きつかなかった。身を結ぶまでには、かなりの時間を要したようだ。
そもそも当時のホワイトウェーブは、手応えある結果を残せたとはいえわかる人が見ると「…強くはないよね?」という感じだったそう。
100人もの大所帯である強豪第一工業大学には練習試合でも負けてばかりだったというし、選手たちとしては声を掛けられても「どうせならもっと強いチームに」というのが当然の心情だろう。
ただ、野球を続けたい学生の生の声を聴くことはできたんだと思う。
このスカウトのための視察は、実際クラブチームに選手を呼び込むための具体策を練る大切な第一歩になっているんじゃないか。
これまでのお話と現在のチームを見ていて、私はそう感じた。
仕事と野球の両立。これがクラブチームのボトルネックにもなる。
いい選手がいてチームに興味を示してくれても、所属企業の理解協力がないことには野球を続けていくのは難しい。
そこをどう解決していくか。
球団が選手に就職をあっせんするというどこのチームもなかなか実現できずにいる取り組みが、ホワイトウェーブで本格的に始まるのはまた数年後になるのだけれど。