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球団ヒストリー7.現場の現実
2006年2月、クラブチームとして正式にスタートした鹿児島ホワイトウエーブ。運営側の奔走で、硬式野球のできる体制はひとまず整った。
一方、現場はどうだったのか?当時の選手たちに聞いてみた。
やはり出てくるのは「週末の夕方から、伊集院での練習には、なかなかメンバーが集まらなかった」こと。
いや、最初のうちは集まっていたけれども、仕事と野球、二足の草鞋を続けることは選手たちには思った以上に厳しかったようだ。
…「ようだ」というのは、誰に尋ねても、この時期の記憶は曖昧だったから。
15年というときが過ぎていることもだけれど、なにより9000人を集めた欽ちゃん球団とのデビュー戦が”非日常”すぎたのかもしれない。最初は飢えさえ感じていたような『硬球を握る時間』が、だんだんと”日常”になるにつれ、デビュー戦での華々しい勝利とのギャップも相まって、その記憶は日常に紛れてしまうのかもしれない。
そしてきっと、誰にとっても戸惑い悩んだ『土台作り』の日々。それぞれの胸の内ではいろいろな想いが渦巻いていても、それがなかなかうまく表現できず伝えられず、ハッキリとした形にならないことが多かったのだろうと、現場の皆さんのお話を聞いていて感じました。
社会人野球という世界の厳しさを最初から覚悟していたのは、20人のメンバーのうち一握りだったのかもしれない。
企業チームでプレーした経験のある磯辺一樹さんも、おそらくその一人。
企業チームでは、毎日練習があるのが当たり前。
練習することも試合も自分の仕事のうちなわけだから、当然といえば当然の話だ。気軽に遅刻早退などありえない。
だから当時のチームメイトたちの
練習時間ギリギリ、または遅れて球場に到着することも
車からスリッパ履きで降りてくることも
ユニフォームの着こなしも
どれをとっても、企業チーム時代とは違うことに違和感を感じざるを得なかった。
それぞれに生活がある。
球場と住まいが離れている選手もいる。
そういった事情を考えあわせても、「…草野球チームみたいだな」と感じることも多かったようだ。
住まいから球場までが遠かったのは、チームの大黒柱、投手の竹山徹さん。
仕事を終えてから、「疲れた体にムチ打って」車で1時間以上かかる伊集院球場に向かうのはやはりきつかったそう。
「投手の練習は一人でもできるんですよ。全体練習に参加しても、ブルペンで投げ込みやらランニングやら。だから往復2時間かけて参加することより、自主練習することも多かったです」
そういった背景もあり、毎週土日の夜に行われていた練習は「3人だったり、15人だったり」。
人数はまちまちだった。
現場の選手たちは「オレたち、仕事もあるじゃん」と
どこか割り切った気持ちもあったようだ、と竹山さんは語る。
とはいえノックやバッティング練習といった内容の濃い練習には、ある程度の人数が必要。
スタートはしたものの、練習がままならないという現実が突き付けられた。
※写真は、本拠地伊集院球場。2019年秋撮影。
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