球団ヒストリー76.沖縄、もうひとつの壁
沖縄大会
沖縄で開催された2014年の第85回都市対抗野球大会九州地区(二次)予選。
戦績については前回の記事で詳しく書いたのでご一読いただきたい。
今回は、この沖縄遠征にまつわる準備のお話をしてみたいと思う。
過去にも経験している二次予選だが、これまでは長崎、宮崎、福岡。
それがこの年は沖縄というリゾートアイランド!
観光に行くわけではないが、やはり気持ちは高ぶる。
しかし、だからこそ立ちはだかる壁があった。
そう、遠征費。
動いた金額は
先にお伝えしてしまうと、この遠征で動いたお金は300万余り。しっかりと収支表として記録が残されている。
航空券だけでも、29人分の往復で130万を超える。
土地勘のない沖縄での移動は、貸切バスを利用。こちらも20万を超えた。しかし実際、現地に着いてみるとホテルは空港からほど近く「バス移動と思い込んでましたが、タクシーのほうが安上がりだったかも」とは当時の事務局を担っていた佐藤さん。
そんなふうに、現地に着くまで分からないこともたくさんあっただろう。
一次(南九州)予選だと出場チームは5チームほど。長くても2,3日で終わるが、二次予選ともなると出場チームが増える。必然的に試合数が増え、日程が読みづらくなる。
このときも、はたしてどの程度の滞在日数になるのか、個人負担額がどれくらいになるのか、大会が終わってみないと分からなかった。
予定は未定
資料によると、12チームが集まり第三代表まで決めるこの大会は初戦から決勝まで8日間に及ぶ。
組み合わせや勝敗によって変動はあるけれども、どう少なく見積もっても3泊4日は必要だし、天候や交通機関の時間にも左右される。
鹿児島ドリームウェーブは初日(5月31日)1試合目のため前泊。
前回の記事のとおり、初戦は三菱重工長崎に惜敗し第二代表トーナメント(敗者復活戦)に回った。
この第二代表トーナメントが始まるのは大会3日目(6月2日)。
残念ながら第二代表トーナメント一回戦で敗退が決まったが、飛行機の手配などもありさらに一泊。
最終的には5月30日から6月3日の、合計4泊5日という滞在になった。
しかしこれは結果論。
意気込みとしては代表権を取るつもりで乗り込む。
第三代表に滑りこんだとしたら、9泊10日!
その可能性まで考える必要があった。
ちなみにクラブチームである鹿児島ドリームウェーブは、主に企業様からのスポンサー費を中心に、選手たち自身も部費を支払うことで運営されている。
常日頃から勝ち上がったときのことも念頭に置いてはいるが、さすがに厳しい。
沖縄への道を切り開くために、経済面での追い込みが始まった。
手段その1.激励会
『第85回都市対抗野球大会九州地区予選出場激励会』が、当時健在だったジェイドガーデンパレスで開催された。
10000円の会費に67名もの方々がご参加くださり、背中を押していただいたそうだ。
手段その2.タオル販売
選手一人につき20枚の割り当てで、タオル販売を行った。
選手は1枚を1000円で買い取るが、販売価格はいくらでもOKだったらしい。なかには「1枚を2万円で売って回収しました」なんていう強者も。
一人20枚というと相当に多い気がするが、全員がなんとかさばいた様子。
きっとご家族や所属企業の皆様にそれぞれが声をかけご協力いただいたのだろう。足りなくて追加が欲しいと言ってきた選手もいたとか。
手段その3.街頭募金
出発の10日前には街頭募金で協力を募った。
Facebookを見ると、そのお知らせが残っていた。
街頭募金をするには警察署へ許可申請をしなければならない。そのあたりも選手やマネージャーが自主的に動いたという話だ。
場所は鹿児島市の繁華街である天文館の2ヶ所。
わずか2日前の告知に、バタバタと決まったであろう様子が垣間見えた。
当日は鹿児島国際大学とのOP戦。その疲れをものともせず、街頭に立った。
たった1日、3時間ほどの募金活動。
それでも多くの方々にご協力いただくことができた。
以下はその日の夜に投稿されたお礼文だ。
なんと募金箱には191000円ものご寄付が。
しかも記事を見ていると、当日は行けないので別途カンパしますというコメントもある。
記録によると支援企業からはもちろん、個人的にもご寄付が。しかもお一人ではない。
なんてありがたいお気持ちだろう。
こうして多くの方々の力を借りながら、全員でクリアした沖縄への遠征費。
おそらく、選手個々の負担は4~5万だったと思われる。
結果が出ることで、こういった裏の苦労もまたある。
だからこそ、ご協力いただくことへの感謝を忘れてはならない。それもクラブチームというものなのかもしれない。