球団ヒストリー78.知っていただくこと
2014年ごろの鹿児島ドリームウェーブについて調べていたら、気になるトピックがいくつかあったので、ご紹介したい。
1.2013年11月末から代表コラム開始
鹿児島ドリームウェーブのHPをくまなく回っていただくと『コミュニティ』というページの下のほうに代表コラム『社会人野球って⁉』のコーナーがある。
私もこのヒストリーを書き始めるとき、一読した。
私は自他ともに認める野球ファン。
甲子園で県代表の試合がある日は「今日は試合だから」と朝から予定を入れずテレビにかじりつくほどだ。それなのに、社会人野球という世界を全く知らなかった。
野球部のマネージャーを経て球場で場内アナウンスを務めるなど、野球に携わって30年もたっていたにもかかわらず、そんな状況。
野球好きなのに、なぜか『社会人野球』というカテゴリが抜け落ちている。
このとき約10年にわたってチーム(と鹿児島県野球連盟)を運営しておられた球団代表國本正樹さん。その中で、私のような野球ファンがあまりにも多いことを痛感しておられたのだろう。
数年来、密にお話をお聞きしているが…文章を書くことがお好きではないと思う。
それでも、どうにかして社会人野球という世界を、その面白さ奥深さを知ってもらいたい。
そんな思いでキーボードを叩いておられたはずだ。
代表コラムは、当時のドリームウェーブfacebook内で、2014年6月まで10回にわたって執筆されていた。
2.雑誌「ベースボールクリニック」掲載
2002年に創刊され、現在も発行されている月刊誌『ベースボールクリニック』(ベースボール・マガジン社)。
これに初掲載されたのも2014年だ。
取り上げられたのは、『社会人硬式野球クラブチーム風土記』という見開き2ページのコーナー。
連載4回目という早い段階での掲載依頼だった。
ちなみに初回は『和歌山箕島球友会(現・マツゲン箕島硬式野球部)』。2006年に全国クラブ野球選手権大会に初出場初優勝、その後も6回の優勝を重ねているクラブチームの最高峰だ。
ライターの根本賢一さんが2月に来鹿され、当時の竹山監督と、スポンサー企業を代表いただき南州交通株式会社さんから小園社長も参加なさっての取材。
チームが立ち上がった背景や足跡、地域とどのように連携しバックアップされているかなど、丁寧に描かれている。
3.バンド”FLOW”とのコラボ
”FLOW”というバンドをご存じの方は多いのではないだろうか。
音楽にはとんと疎い私ですら、バンド名だけは知っていた。
「FLOW LIVE TOUR 2014 26 a Go Go!!! ~激闘ペナントレース~」というツアーで全国を回る際、ご当地野球チームのユニフォームを着用するという企画。
これにドリームウェーブがご指名を受けた形らしい。
FLOWのギターTAKEさんが、一日署長ならぬ”一日入団”としてライブの1コーナーでユニフォームを着用くださったそう。
しかも1コーナーの予定がライブの中盤からアンコールまで着ていてくださったというのだから、会場に足を運んだ事務局の佐藤さんも大興奮だったようだ。
4.MBC夏祭り出店
7月にはMBC夏祭りへの出店。
このころには球団目標や理念というものが固まっていた鹿児島ドリームウェーブ。
その中に、『地域から愛され、地域から必要とされ、地域から応援されるチーム』といった文言がある。
MBC夏祭りでの野球教室出店は、まさに地域貢献であり未来の野球少年たちとの交流。
仕事が終わってから参加した選手もいただろう。
この時間を練習に使いたいと思った選手もいたかもしれない。
でも、こうした交流や貢献は、数年先のドリームウェーブにとってプラスになったりもする。
野球教室はなかなかに好評を博したようで、時間帯によっては行列ができたそうだ。
選手たちも楽しんでいる様子が見て取れる。
この出店は数年続くことになった。
5.ユーミーマンション地域スポーツ応援プロジェクト
弓場建設株式会社(現・ユーミーコーポレーション株式会社)さんによるこのプロジェクトは、2014年7月に発表された。
地域のスポーツチームを経済面のみならず多方面から盛り上げていこうというもの。
弓場建設さんといえば、発足間もないころからスポンサー企業として応援いただき、また就職あっせんを始めた際には真っ先に受け入れ先企業として手を挙げてくださった、ドリームウェーブのメインスポンサーだ。
弓場昭大社長は、後援会会長も務めてくださっている。
このプロジェクトにはドリームウェーブのみならず、サッカーの鹿児島ユナイテッドFC、バスケットボールのレノヴァ鹿児島(現・鹿児島レブナイズ)も参加。
一つの企業が異なる複数の競技を横断的に支援するというのは、鹿児島では初のことだったらしい。
これ、実は國本代表から弓場社長への提案もきっかけのひとつだったそうだ。弓場建設に他競技からも支援の依頼が届いていると耳にした代表が「野球だけに絞らなくてもいいのでは?」と声掛けをしたことから始まったという。
こののち弓場建設さんは、一時は鹿児島レブナイズのオーナーになるなど地域スポーツ支援にますます力を注ぐことになる。
まさに今、鹿児島のスポーツ界を支えてくださっている。
※弓場社長の支援に対する想いは、球団ヒストリー44で詳しくご紹介しています。
6.南洲交通さんのラッピングバス
南州交通株式会社さんが、チームロゴとドリームウェーブのマスコットキャラクターである吹上童夢くん、江口美波ちゃんをあしらった“鹿児島ドリームウェーブラッピングバス”を作ってくださった!
ドリームウェーブだけではなく他のスポーツや少年団の送迎、遠征などにも活用されるという。
ドリームウェーブバスで少年たちが移動していたのかと思うと、不思議な高揚感でニンマリしてしまった。
これらの活動の根底にあるもの
先述したが、鹿児島ドリームウェーブには“球団目標”というものがある。
つまり鹿児島への貢献というものが、チームを運営し続けていく上で必要不可欠という想いが常にある。
地域に愛されるためにも、貢献するためにも、鹿児島ドリームウェーブというチームがある、ということを知っていただく必要がある。
2014年の、一見すると野球の本筋とは外れるようなこれらの動き。
根底にあるのはそんな想いだ。
どうやったら知っていただけるのか、
どうやったら応援していただけるのか。
國本代表の頭の中には、常に、常に、そのことがある。
思いついた施策は数えきれない。
頭の中にフッと浮かんだだけの案から、誰かに話してみたこと、どこかに提案したものの日の目を見なかったもの…
だいぶ多めに見積もっても、実現したのは一握りだろう。
そしてその試行錯誤は、10年経った2024年現在も続いている。
地域から愛され、地域から必要とされ、地域から応援されるチーム。
そして地域の子供たちの憧れとなるチームとなる。
そのために。