球団ヒストリー40.続ける選択、続けない選択
鹿児島ホワイトウェーブが立ち上がって6年、正式発足からは5年。一時は盛り上がっていたチームの士気は下がり続けているように見えた。
そうして「やる気のない者は辞めてもらいます」という通告がなされた2011年11月19日。
どれほど凍った空気だったのかと胸が締め付けるように感じたが、マネージャー順子さんは意外とそこまでではなかった様子だ。
続ける選択
では、選手は?
この会議の場にいらした大内山渡さんは、この宣告に驚きはしなかったという。参加できる選手と全くできない選手の差。こんな緩んだ状態はいつまで続くのかという話は、選手たちの間でもぽつりぽつりと出ていたという。
かといって、辞めるつもりは全くなかったと話してくださった。
「ただ、仕事も家庭もあるので平日の練習には参加できない。でも『平日は自分でちゃんとトレーニングしますから』とその場で代表に訴えました」
こう訴えた背景には、今後練習時間を増やすという球団側の姿勢もあった。
それまでは週末の夜だけだった練習が、平日夜も追加される。
都市対抗野球を目指す。
その夢を追うには、練習量の確保は必須。
だから練習時間が増えることはチームとしてはとても喜ばしいことのはずなんだけれども、この時点では週末だけの練習にもかかわらず”幽霊部員”のような選手もいた。
大内山さんご自身は、週末だけなら参加できたけれども平日は…ということで、代表への直訴となったようだ。
続けない選択
実はこの行動には、自分が野球を続けることともう一つの意味があった。
「ほかの選手も続かないかなと思って」。
週末だけの練習だからこそ参加できていた選手もいるだろう。自分が口火を切れば、そんな選手たちも続いて手を挙げやすいんじゃないかと。
でも、それは思ったようにはならず。残念ながら特例で平日の全体練習参加を免除(?)されたのは、大内山さんだけだった。
「意外とあっさりしてるな」
と苦笑いするくらい、やめるかもなぁと思った選手は予想どおり退団していったそうだ。
決めるきっかけ
ただ、辞めた選手のことを無下にしている印象はなかった。
練習に来たくても、職場や家庭、それぞれの事情がある。
家族から「いつまでもこんなことしてないで…」と渋い顔で見られている選手もいたという。それでは練習にも行きづらいだろう。
選手やマネージャーのお話を聴いていると、それをお互いに想像し理解していたようだ。
この球団側からの宣告は、辞めるに辞められなかった選手たちにとっても、本気でやって行きたいのにみんなはどう考えているんだろう?とモヤモヤしていた選手たちにとっても、気持ちを切り替えるいいきっかけになったのかもしれない。
そしてこのオフシーズンは、チーム立て直しのためにしばし練習がお休みになったのでした。