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信頼される男は、自分の「肩書き」をわざわざ言わない。

「信頼される男、されない男」
この著者の能町光香さん。

(著者の能町光香さんは、外資系企業のエクゼクティブ秘書を10年間して、そこで得られた知見を、”信頼される男”として、本書を書かれました。)

能町さんは言います。

ある場面で、「私が社長だからすべての決定権は私にある」と力んでいた場面を引かれて、

「エグゼクティブの方たちは、自分の”肩書き”を言葉にして発することはほとんどありません。

むしろ控えているくらいです。

実際、長い間秘書として上司と一緒に行動してきた中で、私は上司から自分の”肩書き”を言葉にして伝えている様子を一度も見たことがありませんでした。

(中略)

自分の”肩書き”は、あえて言葉にしないというのが美徳。

”肩書き”が多くのものを端的に伝えているので、言葉にする必要がないのです。

例にあげた件のように”肩書き”を言葉として発するのを聞いてしまった瞬間に、すーっと気持ちが離れていってしまう感覚がするのは、私だけではないでしょう。

”肩書き”が権威の象徴として用いられ、何かとてつもない大きなプレッシャーをかけられた感じがするのです。

(中略)

自分に自信のない方は、つい頼ってしまいたくなるのかもしれません。

しかし”肩書き”に頼らない”自分のあり方”をわかっている人が、本当は一番強いのだと思います。

最終的には、相手の”肩書き”ではなく”人となり”に惹かれるのですから。」



なるほど。

その通りだと思います。



ある大きな団体の副会長が、「副会長の●●です。」と権威をまんまんにたたえて電話をしたら、電話口のおじさん、町内会の副会長と思ったらしく、あとでこっぴどくやられたことを聞いたことがあります。

”肩書きを”まず言いたい人は、自分をうやうやしく扱ってほしい、心の奥底が見事に表れていますね。

”肩書き”は、仮の姿。

”肩書き”の権威によって、人はひれ伏すのであって、イコール、その人が偉いわけでもなんでもないんですよね。

”肩書き”をすべてとった後の、裸の人間で勝負したいですね。



でも、今日も、

「●●の××ですが・・・」

といって、敬ってもらいたい人が、闊歩しています。


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