![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/110384720/rectangle_large_type_2_c6ff2ec38c67cafbaae1a32275b37f03.jpeg?width=1200)
「真があるなら今月今宵 明けて正月誰もくる」
「真があるなら今月今宵 明けて正月誰もくる」
高杉晋作
これは、下関で、死を覚悟して決起するとき、傍観する陣営を訪ねて唄ったものだ。
明日の朝では、もう遅い。
今しかないんだ。
明日の朝には、何人か来るだろう。
でも、決起するのは、今、この時なんだ。
そんな、叫びが響いてくる言葉だ。
人は、口では「命がけで・・」「死に物狂いで・・」と勇ましいことをいうが、実際に行動する人は少ない。
先の衆院選でも、いろんな人が「命がけで・・」と言っていた。
もともと、「命をかける」つもりなどないくせに、軽々しく口にする人たちが、滑稽に見え、馬鹿に見えたのは、僕だけではないだろう。
高杉晋作は、実際に行動できる、真の同志を作ろうとしていたのだろう。
守られた、城壁のなかで、なにを言おうと、人の心は動くまい。
自分は、いつも傷つかないように、逃げ場を確保して、
自分の責任にならないように万端、ととのえて、
「命がけ」「死に物狂い」と言ったところで、虚しい。
若いころから、能書きは立派だが、具体的な数字を言わない男がいた。
「怒涛の嵐を巻き起こし、未曾有の歴史を、命がけで作る」
とはいうものの、「何を、いつまでに、どうする。」とは決して言わない。
ずるい人間、臆病な人間は、決して自分を死地に追い込まない。
必ず、逃げ道を確保している。
こんな、男が何人集まっても、いざ、「命がけ」の戦になれば、
誰も集まってくるはずがない
だから、
「真があるなら、今月今宵。あけて正月、誰もくる。」
と、ふるいにかけたのじゃないだろうか。
数値目標を口にすると、達成できなければ、責任を取らねばならない。
いま、指導者に対する現場の目は厳しい。
「OKY」
(お前、ここへ来て、やってみろ)
の頭文字。
最前線でライバルと戦う日本企業駐在員の本音である。
本社は現場の状況を理解せず、意思決定が遅く、ライバルに負けてしまう。
(日経)
本当に現場はそう思っている。
トップがお供を引き連れて、「下に!下に!」と現場に来ているようじゃ、戦う前にすでに負けている。
ではまた。