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「真があるなら今月今宵 明けて正月誰もくる」

「真があるなら今月今宵 明けて正月誰もくる」 

                      高杉晋作



これは、下関で、死を覚悟して決起するとき、傍観する陣営を訪ねて唄ったものだ。


明日の朝では、もう遅い。

今しかないんだ。

明日の朝には、何人か来るだろう。

でも、決起するのは、今、この時なんだ。


そんな、叫びが響いてくる言葉だ。


人は、口では「命がけで・・」「死に物狂いで・・」と勇ましいことをいうが、実際に行動する人は少ない。


先の衆院選でも、いろんな人が「命がけで・・」と言っていた。

もともと、「命をかける」つもりなどないくせに、軽々しく口にする人たちが、滑稽に見え、馬鹿に見えたのは、僕だけではないだろう。


高杉晋作は、実際に行動できる、真の同志を作ろうとしていたのだろう。

守られた、城壁のなかで、なにを言おうと、人の心は動くまい。

自分は、いつも傷つかないように、逃げ場を確保して、

自分の責任にならないように万端、ととのえて、

「命がけ」「死に物狂い」と言ったところで、虚しい。



若いころから、能書きは立派だが、具体的な数字を言わない男がいた。

「怒涛の嵐を巻き起こし、未曾有の歴史を、命がけで作る」

とはいうものの、「何を、いつまでに、どうする。」とは決して言わない。

ずるい人間、臆病な人間は、決して自分を死地に追い込まない。

必ず、逃げ道を確保している。

こんな、男が何人集まっても、いざ、「命がけ」の戦になれば、

誰も集まってくるはずがない


だから、

「真があるなら、今月今宵。あけて正月、誰もくる。」

と、ふるいにかけたのじゃないだろうか。




数値目標を口にすると、達成できなければ、責任を取らねばならない。




いま、指導者に対する現場の目は厳しい。

「OKY」

(お前、ここへ来て、やってみろ)


の頭文字。



最前線でライバルと戦う日本企業駐在員の本音である。

本社は現場の状況を理解せず、意思決定が遅く、ライバルに負けてしまう。

(日経)

本当に現場はそう思っている。

トップがお供を引き連れて、「下に!下に!」と現場に来ているようじゃ、戦う前にすでに負けている。


ではまた。

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