今日の出来事を幸せだったと書き換える
今日は生活保護という名の存在給を受け取る日。
私はいつまで市役所に行くことになるのだろう?
今日は担当のNさんが多忙の為、私と娘は通路に設置されている椅子に座って、Nさんが来るのを待つように指示された。
いやいやそこはもうスルーでいいのでは?と正直に思う。
特に問題は無いのだから、面談はキャンセルしてもらってもいいのでは?
もう私は簡単に存在給を受け取っていいはずなのでは?
なのにいつも、NさんやTさんとの面談の後に受け取りに来てください、と言われてしまう。
やれやれ┐(-。-;)┌と毎回思う私。
私は真面目な性格だ、だからちゃんとNさんと娘の面談にも立ち会う。
Nさんが娘に話す内容を聞いていて、いつも凄く違和感がある。
だからハッキリ分かるのだ。
この見えている映像は、私の思い込みの映像なのだと。
そろそろこの茶番劇を終わらせる時が来てもいいのでは?
もう充分味わえたよ?と空間に呟いてみたりする。
まあ、この映像は過去でしかないから、何を言っても、何をしても、変わらないのかもしれないけれど。
それにしても今日はなかなかNさんもTさんも現れず、私たちは結構待ち続けている。
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以上が、市役所の2階の通路にある椅子に座って、Nさんが来るのを待ちながら書いた文章だ、私は何度も繰り返される光景に少し苛立ち不機嫌だった為、そんな雰囲気が文章にも表れている。
今回は非常に待ち時間が長く感じた。
やっとNさんが来てくださり、近況等を聞かれて答えた。
娘にもNさんは優しい口調で色々質問されている。
話す内容は、私たちを責めるものでは全くなく、体調を心配して気遣ってくださることのみに集約されている。
Nさんの優しさに心から感謝していた。
でも私は内心気がかりだった。
確か午後1時に、受給額の受け渡しに使われている小部屋は、片付けられてしまうはずだ。
もう既にお昼の12時を過ぎている、先に受け取りに行った方がいいのでは?と私は焦る💦
だからNさんにその事を伝えてみると、Nさんは大丈夫ですよ、ずっとあのまま開いてますから いつでも受け取れますよ、とおっしゃった。
う~ん...そうなのか?どうも信用できない💧
でも、私が早く受給額を受け取りたそうな素振りを見せた為か、Nさんは気を利かせて早めに面談を終わらせてくださった。
有り難い。
そしてNさんに今後とも宜しくお願いしますと挨拶して別れ、小部屋に行き 無事に受給額を受け取れた。
今回は受給額を受け取るまでにかなり時間がかかった(実際は約1時間程度だったのだけど、それ以上に長く感じた)。
この映像を見て思うのは、私はまだ自分に豊かさを完全には許可できていない、ということだ。
そんな私を責めずに心から許そう。
私は豊かさを受け取って良いよ👌もっと簡単に、もっと無限に受け取って良いんだよ👌と許可しよう。
次回の受け取りの日に、どう変化しているのかを楽しみにしておこう。
だからと言って、ジャッジはしない。
例え相変わらず、Nさんとの面談があったとしても、それでいい。
私が存在給を受け取ることは確定しているのだから。
私は罪悪感をほとんど感じること無く 受給額を受け取れるようになっている。
それはとても喜ばしい変化だ。
今落ち着いて今日の市役所での光景を思い出してみると、確かに嫌な空気感は無かった。
長椅子に座っている私たちの前を通り過ぎる様々な人々、切羽詰まった感じの人や、ドンヨリと暗い人や、怒りの表情を浮かべた忙しそうな人はいなくて、みんな穏やかでゆったりと歩いていた。
もう市役所は殺伐とした冷たい場所では無いんだと実感した。
それに、雨が降りそうな曇り空だったけど、行きは雨にあわず、帰りはショッピングモールに寄り、買い物している間に雨が降ったらしく、道路は濡れていたにもかかわらず、私たちが外に出る頃には、ちょうど雨は止んでいて、傘を持たない私たちは助かった。
帰って来てからしばらくして、結構しっかり強めの雨が降ってきた。
やっぱり私は宇宙から守られている!と嬉しく思った。
こうして今日の出来事を振り返ると、ワンパターンに見えても全く違うことに気づく。
市役所の世界も、確実に優しい世界に変化していた。
だから何も嘆くことは無い。
どんどん優しい世界へと移行しているのだから。
noteにありのままを文章で表現することで、私は今日の出来事を幸せだったと書き換えることができた。
ちょっと苛立ったことも微笑ましいと今なら思える。
そんなnoteがやっぱり大好き♡
ここまで読んでくださって感謝します。
幸せをありがとうございます✴️