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耳を塞ぐと安心する私の習性



私は農家の長女として生まれた。

私が生まれる前は主にトマトの栽培を中心にしていたらしい、それから父が苺の栽培を始めた、私が物心つく頃は完全に苺が主体の専業農家になった。

幼い頃から私は赤い色に恐怖を感じていた、その原因はお盆に親戚が集まり、その時、私に赤い風船を渡された、私はいい子でいなければと分かっていたので風船を喜んで受け取った。

その風船を持ってみんなでお墓参りに行った、途中風が吹き風船が田んぼに落ちた、それを拾いに行き手で持った瞬間、風船はパンッ!!と破裂したのだ。

私は腰が抜けるくらいビックリして泣き出してしまった、すると祖母(父方)が「そんな事くらいで泣いて情けない子やで!」とけなした、私は凄く傷ついた、みんなの前で言われたのも恥ずかしかった、それ以来赤い風船が恐ろしくなった。

そしてもうひとつ赤い色で思い出すのは、苺を食べられないように鳥を追い払う装置(爆音機)が赤い煙突型をしていてビニールハウスの近くに設置され、手伝いに行った時、3分おきくらいに爆発音が鳴り響く、物凄い大きな音に堪えられず恐くて耳を塞ぎ、更に爆音をかき消すように大声で叫び続けた私、その時も祖母が呆れて私を見ていた。

この爆音機には高校生くらいまで苦しめられた、春は苺の為に設置する、秋には稲穂を食べる雀を追い払う為に設置された、家の近くの田んぼの持ち主の人も爆音機を使っていたので、私の神経は休まることなく、おかげで春と秋が大嫌いになっていたほどだった。

私は爆発音や、破裂音が非常に苦手なのである。

これはおそらく前世からきているのかも知れないと思っている。

学校の体育祭も大嫌いだった、当然スタートの合図でピストルのパーン!という音が鳴り響くからだ。

体育祭が終わるまでほとんど耳を塞ぎ堪えていた記憶がある。

打ち上げ花火も近くで見るのは無理だ、あまりにも音が恐くて堪えられない。

そんな怖がりな私はある日気づいた、音が恐いから耳を塞ぐだけではなく、例えばお化け屋敷でも耳を塞ぐ、テレビで残酷なシーンを観る時も耳を塞ぐ、目を覆うのではなく、耳を塞ぐと安心出来るということに。

恐いなら取りあえず耳を塞ぐと守られている気がして、何とか堪えられる。

私って変だなあとずっと感じてきた。

今はそんな私が愛おしい、よく苦手なものに堪えて生きてきたね!偉かったね、その頑張りが今の私に繋がっている、本当にありがとう、と心から感謝しているのである。

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