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書けなかったことを、大事にしたい。
自分相関図を書いてみた。
相関図というと人と自分との関係性を図にしていくイメージがあるが、わたしは「人」よりも「人に言われたことば」に影響を受けてきたという意識が強かったので、「ことば」を起点に相関図をつくることにトライした。
ことばって、呪いでもある。
その相関図の中にある一言。
小学生のときに同じクラスの男子生徒に言われた「お前、デコ広いな」
本人にとっては、そんなに深い意味はなくて、なんてことない一言。
でも思い返してみると、それ以降自分は前髪を分けておでこを出すヘアスタイルをしたことがなかったと気づいてしまった。
しょうがない時はおでこを出すこともあったけれど、基本前髪を下ろしているし、ヘアバンドやカチューシャで前髪を上げるスタイルはそこから全く挑戦していない。
自分は人の視線を気にしすぎるほうではないと思っていたけれど、思わぬところで呪われていることばがあったことに恐ろしくなった。
本当は呪われる必要なんてなかったのに。
自分の発することばが、心に響いて人を励ましつづけることもあれば、呪い続けてしまうこともある。
自分のことばが相手を呪うことも励ますことも可能性として想像しながら、ことばを生み出せる人にならないといけないと改めて決意した。
書けなかったことを、大事にしたい。
今回の相関図、ポジティブなことばを並べていくだけにするつもりはなかったのだけれど、自分がかけられたネガティブなことばを思い出し、開示するのってかなり難しいなと思った。
ネガティブなことばも、載せているものは、あくまで「受け入れられている」ネガティブなことばだけ。
実はここに書けなかった結構辛いことばがたくさんある。
その通りかもと思って突っぱねてしまったり、ひどいな悲しいなとなって受け入れられなかったり、呆然として咀嚼できなかったり、きっとそんなことばがいくつもある。
実はそれと向き合うことのほうが、大変。
すべてに向き合ったり思い出したりする必要なんてないし、すべてを開示する責任もまたないのだけれど、書けなかった言葉にもう一度向き合うチャンスがあるのがクリエイティブ・企画の仕事だったりするのかもと考える。
もちろん、理不尽なことばには声を上げていいし、全てをクリエイティブ・企画の糧にしていけなんて暴力的なことを言いたくない。そんな暴力的なポジティブシンキングには巻き込まれずに生きたい。
わたしは声を上げる。
クリエイターの糧にする前に、
おかしいことは、おかしいと言っていく。
ただ今回思い出してみて、書けなかったこと。自分の見せたくない部分や一見ネガティブな部分。
勇気を出してえいや!っとことばや企画にしてみる。
そうすると、救われる人がいるかもしれない。
誰かが変われるきっかけになるかもしれない。
かつてのあのことばに、もう一度対抗できるかもしれない。
そんなことを考えていた。