シン・売る虎男 by 夢野来人
「さあさ皆さまお立ち会い。ここに取りいだしたるものは、そんじょそこらにある代物とは訳が違います。この謎めいた生物こそシンというものでございます」
「何だよ、そのシンって」
「シンとは漢字で書くと蜃と書きます。いわゆる蜃気楼の蜃という文字でございます」
「そのへんてこりんなちっちゃな虫がシンっていうのか?」
「さようでございます。シンとは蜃気楼の蜃、この生物は蜃気楼を作り出すと言われている伝説の生物でございます」
「蜃気楼だって? あの砂漠とかで見えるという幻みたいなやつかい?」
「よくご存知で。昔は砂漠に住んでいたと言われている生物なのですが、最近はとんと見かけることがございませんでした」
「砂漠ってえと暑いところが好きなわけだ」
「そうです、そうです。そのとおり。シンってやつは、寒いところが大嫌い。そんな寒がりの生物が何と日本で見つかったのです。どこで見つかったと思いますか?」
「そりゃ、あれだろ。日本で暑いと言えば沖縄だ。最高気温でいけば愛知県の多治見市か埼玉県の越谷市なんていうところが浮かんでくるが、平均気温では沖縄にはかなわない」
「さすがお兄さん、物知りですねえ。でも、このシンが見つかったのは何と北海道。しかも、大雪山の万年雪の中から見つかったと言うから驚きです。もちろん、生きた状態で見つかったわけではありません。ただ、完全に死んでもいなかった」
「なんだいなんだい。生きてんだか死んでんだかはっきりしろよ」
「それが仮死状態というやつで見つかったんです。いわゆる氷漬け、言葉を変えれば冷凍保存。大自然による巨大冷凍庫の中で、生きてるんだか死んでるんだか、死んでるんだか生きてるんだか、生死を彷徨いながら仮死状態で延々と生き続けて来たというわけです」
「結局生きてたんじゃねえか」
「このニュースはあっという間に広まりました。昨今ではSNSですぐ拡散いたします」
「そうだな。今じゃテレビよりもSNSの方が伝わるのが早いよな」
「それを見ていた鳥取県の子どもが何とこうつぶやいたそうです。『あんなの砂丘に行けばいっぱいいるよ』」
「おいおい、そりゃあ何かと勘違いしてるんじゃねえか。何しろ子どもだからな」
「ほとんどの大人はそう思いました。でも、私はもしやその子どもは本当のことを言ってるんじゃないかと思ったのでございます。そこで、わざわざ鳥取まで行ってその子どもに会ってみたのです」
「で、どうだったんだい」
「それが、シンがいっぱいいたという場所に連れて行ってもらったのですが、一匹もいないんです」
「なんだい、ただのオオカミ少年じゃねえか」
「ところが、その子どもは『ここにはいなくなっちゃったけど、うちにはいるよ』というじゃありませんか」
「それも怪しいもんだな」
「半信半疑になりながらも、私はその子の家に行きました」
「で、いたのかい?」
「家に着くと、その子はあるものを指差しました。『あれだよ。ミーって言うんだ』」
「おいおい。いたのか? そこにシンがいたのか?」
「いいえ。そこにいたのは一匹のネコでございます」
「何だよ。やっぱりオオカミ少年じゃねえか」
「ところがそうでもなかったんです。その子は、『あのネコの体にシンは一杯いるよ』と言うのです」
「いやいやいや、それはあれだ。ネコにいると言えばノミだよ、ノミ。その子は、ノミのことをシンと間違えちゃってたんだな。まあ、どうせそんなことだろうと思ったよ」
「私もそう思いました。でも、その子は『見たいなら取ってやるよ』と言うではありませんか」
「もういいよなあ。ここまで来てノミを見たって仕方ないだろう」
「そうは言っても、念のため見せてもらったんです」
「で、どうだったんだい」
「それが、正真正銘のシンではありませんか。あの蜃気楼を作り出すことができると言う伝説の生物シンに間違いございません。そこで私はシンを3匹もらい受けました」
「嘘だろ。ここにいるちっぽけな虫がシンだって言うのかい?」
「間違いございません」
「でも、2匹しかいねえじゃねえか」
「1匹はもう売れてしまいました。そして、1匹は売る気がございません」
「何でだよ」
「私のものにいたします。何たって、蜃気楼が作り出せる伝説の生物なのですから」
「じゃ、何かい。売り物は残り1匹しかねえってことじゃねえか」
「その通り。私はシンを売る男、虎男と申します。あと1匹のシンを売って、残り1匹のシンと共に蜃気楼を見ながら悠々自適に生きていきたいと思います」
「それは羨ましい話だ。俺も欲しくなって来た。でも、そのシンってやつは、さぞかし高いんだろうな」
「実は、1匹があまりに高価に売れてしまったので、もう、お金はいらないのです。どうしても欲しいと言う方がいれば、100万ぐらいで差し上げようと思っているのです」
「おいおい。1匹めはいったいいくらで売れたんだい?」
「10億です」
「何だって? 10億! 良し、わかった。買った、買った。俺が、そのシン買った!」
気がつくと、俺は公園のベンチから立ち上がっているところだった。
目の前にシンを売る男の姿はない。
「何だよ。変な夢見ちまったな。それとも真昼の幻か」
そう言って立ち去る男の肩から、一匹の小さな虫が跳ねた……《了》