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好きが満ちていく by 吉田真澄

 『雪です。雪が降っています。起床時間を早めました。起きてください。起きてください。早く起きて雪かきをはじめてください』
 パソコンに搭載されたAIが、己の知能をひけらかすかのように甘い声で命令し、これ見よがしに枕もとの携帯アラームを鳴らす。
 うるさいなあ、人工のくせに……。人間の作った精密機械に人間が大量のデータを学習させたはずなのに、今では人間が人工知能、つまりAI(Artificial Intelligence アーティフィシャル・インテリジェンス)に左右されている。なんてこった。まるで監視されているみたいじゃないか。
 映画やなんかの世界では既にその先の領域が創造され、AI対人間の戦いになっている。実際いつかはそうなりえるのかもしれない。いや、なりつつある。僕が時流に乗り遅れてるんだ、きっと。

 早起きの苦手な僕は、ぶつぶつボヤキながらベッドを這い出る。
 両親は23歳になった一人っ子の僕が就職したのを待ち構えていたように、大好きな山裾にコンビニをオープンして生活拠点を変えた。山を見て暮らすのが夢だった、んだそうだ。50代の二人は、動けるうちは好きなことをして暮らす、らしい。でも、なぜ? 好きなことって何? 胸のうちに折りたたまれたなぜか、は他にもあるのかもしれないが、僕には分かりかねる理由なんだろう。けど、二人が選んだ生き方だから僕に異存があるはずはない。
 親にしろ、兄弟姉妹――僕にはいないけど――にしろ、親友や恩師にしろ誰にしろ、その人の百を知ることなど、百を知ってるなどありえないだろう。僕だって自分の根底にあるものがよくわからない。
 いずれにしても、両親は当分ここには戻りそうにない。
 だから僕はいま、父名義の二階家に一人で住んでいる。
 階下に降りてカーテンを開けると案の定、窓の向こうには積もった雪景色。おまけに夜明け前に稼働する除雪車がシャーベットになった雪の塊をこんもりと出入り口に置いて走り去った後だ。まず、あれをどかさなければ車が出せない。
 僕はストーブを点火し、顔も洗わずに外に出る。
 シャーベット状態の雪は冷凍庫でかちんこちんにされたように堅い壁となっていた。まじか。僕は、スノーダンプをその壁にガツンと刺し、さらに足蹴りして奥まで差し込む。刺しては引いてを何十回も繰り返す。堅雪となっていた塊をすべて出入りの邪魔にならない一か所に積み終わったときには、ベンチコートの下は汗だくになっていた。
 まだ両親と一緒に住んでいた頃は、僕の外出時や帰宅時には、雪はきれいに片付けられていた。でもいまは朝晩、雪と向き合わなければ僕の冬の一日が始まらない。こんな時こそ親のありがたみがわかるというものだ。こんな時以外もだけど。

 郵政公社に勤務する入社三年目の僕は、今年も年賀状の元旦配達に行く。どうせひとりだし、休んだところで無駄に賑やかな正月番組を見るしかない。それよりは、休みたい人が休暇を取った方がいいと思う僕は、盆暮れの繫忙期には進んで出勤する。
 お節介なAIに起こされたおかげで遅刻せずにすんだ。お節介だけど有り難い。お節介はいらないか。素直に、ありがたい、だけで。
赤いバイクの後方ボックスに、配達順にまとめた年賀はがきを積み込む。余程の悪天候でもない限り、僕らの配達はバイクなのだ。
 配達する枚数も軒数も少なくなっていると実感しながら、僕は出発する。郵便料金の値上がりにも伴い、年賀状じまいやメールやSNSでの挨拶が多くなっているのに、年賀はがきを購入し、こうして投函してくれる人たちもいる。僕らの仕事を支える、そんな人たちへの感謝は忘れないでいたい。
 と、きれいごと(と言われるだろうが)を並べている僕がいるのも真実だし事実だ。なぜかわからないけど、僕は社会人になり他人への意識が変化してきたようだ。
 それなのに繫忙期に望んで出勤する僕は邪な気持ちを抱えている。

 昨年僕は、元旦配達デビューを果たした。仕事を割り振りされたときには、なんで僕? と内心ムッとした。まだ大人になり切れていない時だ。大人ってなんだよって話だけど。正月に働くなんて嫌だとか他に誰かいるだろうとか、愚痴が蜷局を巻いていた。
 それでも僕は、バイク走行に気を付け配達を続けた。大きな道は除雪されているが、路地に入ると雪はそのままで、バイクを押して行く。自宅周辺を除雪している家もあれば、ポストまでズボズボと雪を潰していかなければいけない家もあった。
「おめでとうございます」
 声の聞こえた方を見ると、赤いニット帽をかぶり揃いのマフラーを首に巻き、雪かきスコップを片手にした女性がにこやかにほほ笑んでいる。白い雪が反射板になり小柄な彼女をキラキラ照らしている。僕にはなんだかお地蔵さんみたいに見えた。
あそこは確か空き家だったはずでは……。
 辺りに目をやるが外に出ている人は誰もいない。僕?
 慌てて僕は頭を下げた。
「引っ越してきたばかりで。よろしくお願いします。」
 と、彼女もこくりと首を縦に振る。
その仕草も可愛い。突然感情がキュンと泡立った。僕は焦った。なに? この気持ち……?
「いえいえ、こちらこそ……」
 なにかもっと気の利いた返事があるだろうに言葉が出ない。僕はそそくさと後ろ髪を引かれる思いで業務に復帰し、滞りなく配達を終えた。
 局に戻った僕は休憩室に向かい、すでに一息入れている同僚らに混じる。
「そういえば、空き家、誰が入ったんだろう」
 と僕は担当区域を思い出したように、何気なくつぶやいていた。
 すると情報通の同僚が、まさに僕の知りたかった情報を提供してくれた。

 年の初めの出会いに、なぜか僕の心が躍り出していた。まるで、お年玉付き年賀状の一等に当選したみたいに。
 僕の邪な原因はこれなのだ。
 空き家には、父親の転勤でお地蔵さん(僕が勝手に呼んでいる)一家が神奈川から引っ越してきた。どうも転送シールでわかったらしい。守秘義務はないのかい、と僕は口に出さずに思った。だって知りたいことだったから……。ここだけの話だし。
 同僚はさらに、どこで仕入れてきたのか僕にとって有意義な情報をくれた。彼女は大学生。卒業するまでは神奈川の親戚宅に居候し、休みの時にはこっちに来るらしい。
 ならば、盆暮れや休暇に帰省する彼女に会えるかもしれない。
 これも僕が繫忙期に進んで出勤する理由のひとつ。いや、こっちの方が強いのだ、本当は。いつかは遭遇するだろう、見かけることができるだろうと考えると、なぜか気持ちがわくわくする。雨の日でも風の日でも、暑くても寒くても辛くなんかない。そう、仕事は楽しみながらやる方が効率はいい。僕はそれを実践する。

 春には桜の花びらの中に、夏には玄関前の水まきで、秋には落ち葉掃除をする彼女を配達中の僕は見つけることができた。どんな季節の中でも、彼女は一輪の花ように僕の心を温かくしてくれる。
 そのたびに僕の心の底からは、ペリエの栓を開けたみたいに淡い粒が立ち上がる。それはどんどん強炭酸になり、僕のキュンがなぜか泡立つ。
 また正月が来る。月日の経つのはあっという間だ。
今年も僕は元旦配達をする。会えますように。こんどは勇気を出して僕から声をかける、と初日の出に手を合わせ出発する。
 彼女の家の前に赤い帽子を被った人影が見えた。ラッキー。
「おめでとうございます」と、僕はこ踊りしながらバイクを押して近づく。
「おめでとう。」とやさしく返してくれたのは、お地蔵さんに似た年配の方だった。たぶん彼女のお母さんだろう。でも、撃沈。
 年賀お年玉くじは当選番号を逃し、ただの葉書になった……。
ただ見かけるだけでよかったのに、彼女をもっと知りたくなっている僕。俗にいう乙女ごごろって、こんな感じなのか?

 正月2日に年賀状の配達はない。僕が入社する数年前にそう決まっていた。だから今日は休みなのだが、昨日のこともあり僕は退屈と鬱憤を晴らすべく初売りに出かけることにした。
 ショッピングモールには着飾った大勢の人が出向き賑わっている。買うあてなどないのにうろつく僕は、人酔い状態になり通路のベンチで休憩をとっていた。
「郵便やさん?」
 僕の頭上から声が降ってきた。え、えっ! え~ッ‼ なんで?
 僕が目にしたのは赤い帽子のお地蔵さんだった。
 なぜ僕だとわかった? 彼女はヘルメットにフェイスマスクの僕しか見ていないはずなのに、なぜ。
「よくわかりましたね……」
 動揺を隠してそう答えるのが僕の精いっぱいだった。
「目元がね。外国の人みたいだから」
 そうなのだ。僕の目は落ちくぼんでいて眼球も茶色が強い。マスクをしていると特に強調されるようだ。
「となり、いいですか。」と、彼女は僕の隣に腰を下ろす。
 これは偶然ではない必然に違いない。彼女もこの出会いにそう感じている。僕はなぜかそう確信していた。
 選挙で開票率が0%なのに当選確実と報道されるゼロ打ちのようなものだ。僕の場合は、交際率が0%なのにうまくいくが当確とされるゼロ打ちだ。
 ただ、僕は世論調査や期日前投票や出口調査なんかをしたわけではないけれど。少しだけ守秘義務の範ちゅうではあったかもしれないけれど。

 まだお互いのことを知らないのに、なぜか僕は「好き」で満ちている。彼女のことは何も知らない。僕と出会う前の思い出も好きな食べ物も。でもなぜだろう。言葉にできないキュンが泡立ち「好き」がはじける。
 お地蔵さんの正式名称は地蔵菩薩、サンスクリット語でクシティ・ガルバ。命をはぐくむ力を持つ大地のように、大きな慈悲の心で苦悩する人々を包み込み、救ってくれる存在。
 僕にはお地蔵さんに見えた彼女は、僕を包み込んでくれるだろう。新しいふたりの世界を、ふたりを歩く姿がこの先にある。たどり着くのはどこか。
 なるようになる不思議。なにかに出会う不思議。
「好き」に答えはある?

<了>

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