隠れえぬ罪 by Miruba
新年になると、あちこちでマラソン大会や、ウォーキング大会が開かれる。
私の地方でも、「新春ウルトラジョギングマラソン大会」と銘うったウォーキング・ジョギング・ハーフマラソン大会が開催された。全日本でその昔メダルを取った人や取りそこなった人なども参加してくれるので大いに賑わう大会だ。アマチュアのコースもあり地元人の参加も優先で可能なため、私も短いコースに参加することにした。
この地では、自然の中でのジョギング・マラソンコースを売りにしたいようで、山の中にある道なども走る。まるでトライアルコースのように、アップダウンが激しいうえ、木々に覆われたような場所が大半で、コースの方向を記した矢印立札を見失わないように注意を受けた。
ジョギングやウォーキングの人たちには山から海を見下ろすような景色の良いところを通ったり、キャンドルライトで囲まれたイルミネーション道路を通過したりするので「面白い」と好評だったが、マラソンの人には、ウォーキングやジョギング選手と一緒など地獄だな、とちょっと不満顔をされてはいた。もちろん計6本のコースや時間差が考えられていて、ハーフマラソンの人は別コースなので素人目には上手なプランニングだと思ったが、セミプロには気の毒な話だ。
地方活性化イベントの意味合いもあるので、商店街の人たちも6㎞や15㎞のコースに参加するようだ。メタボを気にしなくてはいけない人たちが練習もなしに完走できるほど甘くはなく、脱落した人も多かった。
私は週3日小1時間かけて上り坂の道を自宅から会社まで歩くので、結構余裕で30Kmコースを走っていた。参加する人は沢山いたのだがもともと田舎の大会でもあり、コースは幾つにも分かれているし時間差もあるので、スタート時点や水分補給所では多くの人が居たが、走っている間はほぼ一人きりか前後に数人が見える程度だった。
途中で、前を走っていた数人が立ち止まっているのが見えてきた。地面に倒れている人がいて、その人を囲んで救急車を手配したり、体は揺らさず声掛けをしている。
私の後ろから走ってきた男性も、立ち止まった。
「どうしたのですか?」私は聞いてみた。
「多分急激に運動して倒れたのかも、今救急車を呼んだわ」
主催者側の人が走って来て、
「みなさん、お世話をおかけしました。救急車が来ましたから、皆さんはレースを継続してください」と言った。あとで話を聞くかもしれないと、ゼッケン番号を書き留める。
ゼッケンには東京やら大阪など、住んでいる場所の表示もある。全国から来ているのだ。
私の後ろから来た人など北海道からという事だった。
「じゃ、悪いけれど、ここにいても役に立たないし、失礼します」とそれぞれ走っていった。私も行こうと思ったが、倒れている人は地元の商店街の旦那さんで、顔を見知っていたので付き添いとして救急車に一緒に乗り込んだ。救急隊員が、「今日はこれで3人目ですよ」と言いながら旦那さんにまた声をかけようとして、「あ」と声を出した。先ほどまで意識が朦朧としているだけのように見えたが、すでに呼吸が無く、最後の努力をするために慌ただしく動き出した。だがその努力の甲斐もなくその後 病院で死亡が確認された。
そして驚いたことにあの時 周りにいた人たちが警察の事情聴取をうけた。つまり亡くなり方が怪しかったとのことだ。なんでもその旦那さんはペースメーカーをつけていたらしいのだが、何故心臓に負担のかかるジョギング大会に当日参加したのか不明だったし、また胸のあたりに何かを打ち付けたような洋服の汚れと体に痣があったとのことだった。
小さな田舎町のことで、商店街の旦那さんが殺されたらしいという話はあっという間に広がり、噂話に尾ひれがついていた。普段は温厚な人なので町では評判の良い人と思われていたが、この町に住み始めて数年の私が知らなかっただけで、どうやら裏の顔があったらしい。不倫していた相手に待ち伏せされたとか、浮気者の旦那を許せない奥さんか? とか、旦那さんに借金していた昔の従業員かもとか、セクハラ行為を受けたのに辞めさせられた女性もいたよね、とか はては通り魔じゃない? とかポロポロとウワサが零れ落ち、言いたい放題。
数日が過ぎて、なんと私の後ろから走って来た北海道の男性が捕まったと聞いた。なんでもその人は旦那さんと若い頃大阪で一緒に働いたことがあって、その男性の妹さんが若い頃の旦那さんに強姦されて自殺していたとのことだった。
だが、北海道の男性はすぐに釈放された。なぜなら、私が、「その人は私の後ろから走って来たので、関係ないと思う」と証言したからだ。
旦那さんのすぐ後ろを走っていて倒れていることに気づいた人たちは旦那さんが歩いてカーブを曲がって見えなくなったあと自分たちがカーブを曲がった時にはすでに倒れていたが、周りには人はいなかったと証言していた。
その後 救急車を呼んだり主催者を呼び出したりしていた。私がどうしたのか問いかけたので、私のことは覚えてくれていたが、その後 何人も通りがかったので、その問題の北海道の男性がいたのさえ覚えていないとのことだった。私の証言が無かったらそのまま警察に留め置かれたかもしれなかった。
また旦那さんのパソコンのメール履歴に、「金をもってウォーキング参加をして峠に来い、さもなくば、大阪でお前のやったことをネットで告発するぞ」と記述が残っていた。実際 旦那さんの奥さんの話では口座から300万円が引き出されていたというが、旦那さんのウォーキングポシェットには何も入っていなかった。
昔の事件のことは年配の人たちには周知の事実でとっくに過ぎたことでも、商店街の旦那さんは次期市議会選に出る予定だったから、スキャンダルは避けたかったのだろう。削除されたメールは復元されていたが、メールの相手は特定できなかった。外国のサーバーを幾つも経由していたのだ。
結局、商店街の旦那さんは、人に呼び出されて峠まで行く途中、急な運動で心臓が弱まってふら付いて倒れた場所に石がたまたまあり、強く心臓のあたりを打ったために、ペースメーカーに不具合が生じたのだろうとのことだった。それらしい石もその近くから見つかっていた。
何処で住所を聞いたのか、北海道の男性から私に御礼の便りが届いた。住所はなかった。
4個も入っている大きなマスクメロンも送られてきた。
「その節はありがとうございました。あなたの証言のおかげで、助かりました」とある。
「僕のたった一人の妹を襲ったばかりか死に追いやった憎き奴が商店街の旦那としてのほほんと暮らしているのも悔しいが、地方議員として政治の世界に出ようなんて許されることではないと思いました。
コースは下見をしていました。見晴らしの良い場所がありましたが、あそこから突き落とせば確実に殺せると思っていました。
そろそろ峠という時に、前方に数人が走っていました。やり過ごそうと少しスピードを落とし両脇が林になった道を進んでいた時、林の中に人が登って来るのが見えました。僕は何となく陰に隠れました。その人は数人が走り去るのを見て道路に人影が無いとみると、何食わぬ様子でまたコースを走りだしました。
走りながら着ていた薄いビニールの雨合羽を脱ぐと丸めて手に持ち、道路脇にあった小さな祠の中に突っ込みました。カーブでその人が見えなくなってから、僕もその場所を覗くと、小さなお地蔵さんが優しそうな顔で鎮座していました。もしかしたらトイレに行きたくなって仕方なく林の中で済ませたのかな、と考えながら、あの男に追いつかなくてはと急ぎました。
更にカーブを行くと、なんとあの憎い男が倒れているではありませんか。僕の前を走っていた数人が立ち止まり、救急車を呼んでいる風でした。
あの男は僕の前にいた林の中から出てきたその人を見て、何か言いたそうでしたがパクパクと口を開くだけでした。その人の顔を見るとすっかり青ざめていました」
そうなのか、そうだったのか。
その人はカーブを利用して林の坂を急ぎ降りてあの憎い男の胸を石で殴り、倒れたのを見てから急ぎ元来た道を登った。数人が走り去るのを見送り、自分は後から倒れた男のところに着いたように見せかけたのだ。
だが、あの憎い男はその人の石の礫では死ななかった。だからその人は困ったのだ。
「とどめを刺そうと思いました。僕は強力な磁石を持っていました。見晴らしの良い所で突き落とすと言っても、何処から人が見ているかわかりません。ですからペースメーカーをまず狂わせる、ふら付いたところを助けるふりをして突き落とす。という算段でした。ですから磁石を事前に用意し隠し持っていたのです。もう捨てましたが。
他の人同様に、倒れている男の様子を見るふりをして磁石をグッと胸に近づけました。弱ったペースメーカーには一発で効いたはずです。
あなたが何故あの男を殴ろうとしたのか、殺そうとしたの理由はかわかりませんが、どうせ碌な男ではなかったので、あなたもきっとひどい目に遭ったのでしょう。悪い奴が世の中から消えてあなたも平和に暮らせる。
さて、僕の長い話を聞いてくださってありがとうございました。あなたのビニールの合羽に包まれていた300万は頂いておきます。ではお元気で」
私は、体から力が抜け落ちるような気がして膝からくずれ落ちた。