見出し画像

シン・笑って過ごす生活 by 吉田真澄

 庭の一角にある駐車場の横スペースに子猫がいた。
 居間にいるガラス越しの私を、微動だにせずじっと見上げている。私も子猫を驚かせないように、そしてどちらが先に動くのかと、いつまでも続く根比べのようにその姿を見つめていた。
 私が害を与えない人間だとわかったのか、ただ単に見飽きただけなのか、子猫はプイと顔をそらした。
 すると、どこにいたのか薄茶色の子猫が他にも二匹現れ、三匹が走り回りじゃれあっている。その様子を垣根越しに、たぶん親猫、が覗いていた。
 我が家の庭を散歩コースにしていたグレーの猫。最近見かけないと思っていたら、家族を作っていたようだ。子が独り立ちするまで親は見守っている。私も同じだ。

「ここ散歩してた猫が子猫を産んだみたい」
 パソコンをいじっている夫に声をかける。夫は車庫の方に目をやり、あの茶色の猫だろ、という。
「グレーよ。ねずみ色」と親猫(らしき)を指さしても、あれも茶色だと言い張る。ちょっと待ってよ。ちゃんと見てないの? どう見たってグレー。子猫が薄茶だから親も茶色だと思ったの? 頭では見たまま、出た言葉は思いこみのまま。頭と口の意思疎通がうまくいかなくて過ちを正そうとしないの?
 だけど、あれ? 識別できない? 

 退職した夫は少しのんびりしてから、年金が貰えるまでの数年働ける仕事を探すつもりでいるのだが、数か月たっても地方都市ではそうそう思うような職が見つからないようだ。
 そもそも思うような職、ってなに? と聞くと、経理一辺倒だった夫は「肉体労働ではないもの」という。
 天下り先がある企業でもなく、高い地位についていたわけでも、濃い人付き合いもなかった夫に第二の職場は回ってこなかった。
 自力で探すと、草刈や雪かき、菊芋の収穫云々。この年で肉体を駆使するのは酷なもの、とそれらのどれにも食指が動かずにいる。
 贅沢をしなければ貯金と退職金で過ごせるはず、と私もいたってのんきに構えている。

「SNSってすごいなあ」
 職探しの合間にニュースを見たり、ゲームをしたりと時間を潰していた夫がパソコンを動かし、私に画面を見せてくる。
「それ、フェイスブックでしょ」
 夫が言い間違いをしたのだと、私は小馬鹿にした口調になった。
「FacebookもSNSっていう仲間なの。ソーシャル・ネットワーキング・システム、つまりインターネット上で簡単に投稿できたり個人的につながれたりするサービスがSNSな。その通信機能を使ってパソコンやスマホから情報発信すること。ラインやツイッターやユーチューブなんかもSNS」
 おまえは何も知らないんだなあ、と言わんばかりに夫は私に説明してくる。
「あ、そう」
 夫の知識に感心したけれど、素直じゃない私はばつが悪いのでぶっきらぼうに答え画面に目を這わせた。
 画像の上に[Facebookでの過去の思い出―Facebookでシェアした5年前の投稿を振り返ってみよう。シェアしない限り、これが他の人に表示されることはありません]と、以前投稿した写真が映し出されていた。

 ほぼパンフレットどおりの青い海と白い砂浜をバックに、日焼けもまだの白い肌と、いかにも新品の洋服を着た3人が満面の笑顔で自撮写真に納まっている
 懐かしい沖縄旅行。もう5年も前になるのか。
 6つ年上の夫と結婚したのは、私が25歳の時。信一(しんいち)と信子(のぶこ)。信、が同じだと意気投合したっけ。
 それから25年が経ち、私たちの銀婚式と一人娘の成人祝いを兼ねての家族旅行だった。
 夫のパソコンを覗いている私の脳裏によみがえってくる楽しかった記憶。過去の思い出お知らせ機能もいいものだ。
「また行きたいね、宮古島」とつぶやいた私に「石垣島でしょ」と夫が言う。
 「えっ、そうだっけ? 宮古島名物のウミガメ見なかった?」 
 「こんどあの子たちも連れて行こう。ウミガメ見せよう」
 なんだウミガメのことは覚えてるんだ。やっぱり夫の勘違い。
 夫が言うあの子たちというのは、娘の双子の子供たちのこと。つまり、孫のことだ。
 沖縄旅行から1年後に娘は結婚。翌年に妊ったが、コロナが蔓延する手前で安心して出産できた。娘がよき伴侶を得、この家を出て独立したのも見届け、孫の顔も見た。子は親の手から離れた。
 娘に静香と命名したにもかかわらず、しずか、どころか良く笑う賑やかな子だった。孫たちも親に似て、いつも笑顔を絶やさない。
「なんだっけ、あの子たちの名前」
 昨日も電話で話したのに、と私は「こころ(心)と、かなで(奏)、でしょ」と呆れた。

 最近少し、夫がおかしい時がある。今までとは何かが違う感覚。
 もしかしたら、仕事ロスかもしれない。俗に、退職した人が家でゴロゴロしていると老化が早まるとかなんとか……。
 ふと心配になり図書館で本を借りた。
 良性(加齢による物忘れ)と悪性(認知症の物忘れ)の物忘れ。
 夫は旅行に行ったことは忘れてない。日常生活にも支障はない。今のところは良性の物忘れだが、この先はどうなるかわからない。それは私にも起こることかもしれない。
 未来は誰にもわからない。案ずるより産むが易し、だ。
 行けるとこまでは二人で過ごしていこう。

 10代後半は、箸が転がってもおかしい年頃だった。何でもないことや他愛もないことで笑う、感受性が豊かな思春期だった。
 20代は友人との旅行や恋愛で楽しみ、そして結婚。
 30代から40代は子育てや家事に明け暮れ追われ、それでも楽しく過ごしていた。
 50代に突入したら女性ホルモンのバランスが崩れ、夫に悪いなあ、と思いながらもすぐイライラするようになった。
「もーお、さっきも言ったでしょ」「何度も言ってるじゃない」なんて言葉を吐く。そして後味が悪く反省する。
 でも、私はもう言わない。そういう言葉が出そうな状況になっても笑ってやり過ごすことが大切だ。
 そろそろ人生の折り返し地点。若い頃に戻っていくのだから、さっさと10代に戻ろう。何がおかしくて笑っているのかわからなくても笑っていれば楽しい。また新しく笑って過ごす生活を始めればいいだけ。そう人生は選択。
 そうだ、そうしよう。とても簡単なことじゃないか。
「ノブ、なにニヤニヤして」
 自分の思い付きに顔が緩んでいる私に、夫が不審そうに聞く。
 私は夫の瞳を見つめて言う。
「シン。これからもずっと笑って生きていこうね」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?