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訃報欄の人

地方新聞の地元面に「訃報欄」がある。「おくやみ もうしあげます」という言葉と共に、前日に亡くなった方の名前、年齢、職業や葬儀会場の場所、喪主名などが書かれている欄だ。

昔は「訃報欄」が怖かった。なぜか分からないけど「見たくない」と。なぜだろう?「死」が近くなる気がしたからか?訃報欄が「死」への通り道に見えたからか?分からないが、目を背けて紙面をめくった。

私の亡き父は、高齢になってから毎日「訃報欄」をチェックしていた。「友達が出ているかもしれない」だったようだ。時々見つけて、ご遺族に連絡していた。そして・・・私も見るようになった。


「昭和らしい名前だなぁ」
○○兵衛、まさ、ただし、よし・・・・高齢者に多くみられる名前に、戦後から高度経済成長の中で生き抜いた人の人生を勝手に想像してしまう。

「こんな若いのに」
10代の死は辛い。いたたまれない。親は?家族は?いったいどうしているんだろう。泣いても泣いても辛すぎる。本人も、これから続く人生を残してどこに行ってしまったんだろう、と勝手に心に想う。

「すごいなぁ」
99才 101才・・・長い人生に幕を閉じたんだ。たくさんの孫やひ孫や玄孫もいるかもしれない。戦争も空襲も災害も、いろいろ経験してきているんだろう。何を残しているんだろう。どんな足跡を刻んでいるんだろう、と勝手に思い描く。

親の死期が近くなった時に 「訃報欄」は心の支えになった。

「父さんより年上の人が 昨日までがんばっていたんだから。大丈夫だよ」
他人の寿命がなぜか心の支えになった。

そして父が「訃報欄」に載った。

父が「訃報欄」の人になった。


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