クラリスは羊たちの夢を見るか
ある映画にまつわる個人的な思いを書こう。映画の名前は「羊たちの沈黙」。サイコパスによる連続殺人事件を追う、ジョディ・フォスター演じるFBI捜査官見習いクラリス・スターリングが主人公だ。
この映画は、サイコパスが出てくるスリラー映画のハシリだった。でも私にとっては、「女」についての映画だった。田舎の高校生だったわたしは、「女」として生きる・働くことはどういうことかを、この映画に見た。
わたしはクラリスになりたかった
初めて買ったコートが緑色のダッフルコートだったのも、バックより靴にお金をかけたのも、大学で心理学を学んだのも(これは途中で挫折した)クラリスの影響だった。
ど田舎の高校生がなぜサイコパス映画のFBI捜査官見習いにそこまで心惹かれたのか。
"Hurt - Agony - Pain - Love It " 「痛みと苦悩と苦痛を愛せよ」 映画の冒頭でクラリスが激しい実習トレーニングをしているシーンで、一瞬この言葉が書かれた看板が映される。
「痛みと苦悩と苦痛を愛せよ」 映画を貫く一つのメッセージである。
この映画に出てくる女たちは3階層に分かれている。
第三階層:男の欲望の犠牲になる女たち(フレデリカ・ビンメル)
第二階層:男社会で違和感を持ちつつ働く女(クラリス・スターリング)
第一階層:地位と権力を持ち、男たちを従える女(マーチン上院議員)
第三階層の女たちはどこにも行けない。生まれ育った土地で、外の世界を見ることなく、何もトライすることがない。ただ男の欲望の犠牲になり、自分で自分の運命を変えることができない。(小説では、最初の犠牲者は監禁された井戸の中で、加害者の男に愛の手紙を書き続けていた)
第二階層のクラリスは、男社会で違和感を抱きつつ働いている。トレーニング中にも、エレベーターの中でも、オフィスでも男たちに取り囲まれ、「なぜ女がここにいるんだ」という視線と態度を浴び続ける。ときにはあからさまに性的な誘いをかけられる。
第一階層のマーチン上院議員は、地位と権力を持ち、男たちを従える。自分の娘を連続殺人犯から救うために、状況をコントロールする。連続殺人犯の手から助け出されたのは、彼女の娘ただ一人だけだった。
女として生きるとは、こういうことかとわたしは思った。変わる意志を持たなければ、犠牲になり続けるだけだ。痛みと苦悩と苦痛を通り抜けなければ、状況をコントロールする力を持つことはできないのだ。
羊たちは沈黙しない
「羊たちの沈黙」とはクラリスのトラウマを表す言葉だ。彼女は子供のころ、食肉用に屠殺される羊たちの悲鳴を聞いた。一頭だけでも助けようとしたが、叶わなかった。
大人になっても殺される羊の悲鳴で目が覚める。もし犯罪被害者を助けることができたら、羊の悲鳴はおさまるかもしれない。羊たちが沈黙する夜を眠ることができるかもしれない。
羊たちが沈黙することはないだろう。なぜなら羊たちの悲鳴こそがクラリスを駆り立てる原動力であるからだ。悲鳴を聞き続けながら、痛みと苦痛を抱えながら生きていくしかない。
それでもわたしはクラリスになりたかったし、今でもなりたいと思っている。