【ネタバレあり】ドントウォーリーダーリン
美しきパームスプリングス、完璧な夫婦、完璧な幸せ
映画は50-60年代のアメリカの懐メロがけたたましく流されるパーティーシーンから始まる。4組くらいの夫婦たち。妻たちは頭の上に銀のトレイをのせ、さらにその上のブランデーグラスを落とさずに誰が一番長くダンスできるかを競っている。夫たちは野卑とも思える掛け声で自分の妻を応援する。落ちるグラス、飛び散るブランデー、哄笑と鳴り止まない音楽。そしてアリスとジャックはソファーの上でキスをする。ここは完璧な街、ビクトリータウン。アリスとジャックはその街に住む完璧な夫婦だ。
ビクトリータウンのルール
ビクトリータウンは完全なユートピアだ。澄み渡った青い空。美しい住宅。毎日開催されるパーティー。男たちは全員ビクトリー計画のために働いている。その妻たちは専業主婦だ。ビクトリータウンにはルールがある。
妻は夫に仕事の内容を質問してはならない。
ビクトリータウンの人間は安全な場所にいなくてはならない。
パーティーは夫婦で出席しなくてはいけない。
ルールさえ守っていればビクトリータウンは夢のように幸せな街だ。まるで1950年代の勢いがあった頃のアメリカのように。でもアメリカの歴史に詳しい人ならすぐに気づくかもしれない。パーティーシーンでカクテルドレスをまとっている黒人女性がいることに。アメリカで人種差別の撤廃を旨として公民権運動が動き出すのが1950年代半ばのことである。だからこのシーンがリアルなアメリカの1950年代のものであるはずがないのだ。
ユートピアであるはずのビクトリータウンは少しずつ軋み始める。主人公のアリスは夫の仕事が何なのか、ビクトリータウンが何の目的で作られたのか疑問を持ち始める。
アリスは穴に落ちる
この映画は不思議の国のアリスになぞらえることができる。まず主人公の名前がアリス。アリスの親友の名前はバニー。(アリスを導く白兎)そしてアリスが繰り返し見る悪夢は、黒い眼球の中心に吸い込まれて落ちていくものだ。
この映画でもアリスは穴に落ちる。ユートピアであるビクトリータウンから暗い暗い穴へ。
暗い穴の底にあるのは現実の世界だ。現実世界でアリスは女医であり、ジョンは無職のヒモ。家事もやらず、アリスにただ構って欲しがるだけのダメ男だ。働き詰めのアリスに対して、うだつの上がらない自分。ジョンはそんな現実から逃げるようにカルト団体のようなものに所属することになる。カルト団体は仮想現実を提供する。そこに自分と妻で参加することができる。その仮想現実がビクトリータウンだったのだ。
現実のアリスはベットで手足を拘束され、点滴で栄養を与えられ、強制的にビクトリータウンの仮想現実を見させられていたのだ。
女を縛るものは因習ではなくて愛である
家父長制に女を縛り付けるディストピアがビクトリータウンであった。そういう解釈もできるだろう。しかし、バニーは最初からビクトリータウンが仮想現実だと知っていた。「ここでなら子供たちを守ることができる」と泣きながら叫んだ。アリスは裸足で血まみれになりがらビクトリータウンから逃げようとした。しかし最後の瞬間にジャックの幻影が後ろからアリスを抱きしめる。「僕を一人にしないで」アリスは目を閉じてジャックの胸に頭をもたせかける。
妻たちを縛り付けるのは古臭い家父長制ではない。愛なのだ。この世界にいれば、愛する子供と一緒にいれる。愛する夫と離れずにすむ。
映画の中で妻たちはバレエ教室に通っている。バレエ教室にはボッティチェリの「春」の絵が飾られている。この絵画は繰り返しスクリーンに現れるので、何らかのメッセージを持っていると解釈するのが妥当だろう。
ボッティチェリの「春」はその美しさと謎めいた構図から、たくさんの人を魅了し、さまざまな解釈がされてきた。ここでは若桑みどりの「イコロジー入門」の解釈に従う。この絵画の中央に位置するのは地上のヴィーナスである。地上のヴィーナスが天上の星の印のマントを纏うことで、地上の愛の天上への回帰を意味している。
仮想現実(ビクトリータウン)を地上、現実世界を天上とすれば、地上の愛をアリスがどのように天上の愛に回帰させるのか?これがこの映画のメインテーマなのではないか。
アリスは夢から覚める
アリスは夢から覚める。映画のラストシーンは真っ暗で、アリスの激しい呼吸音だけが聞こえる。
アリスは拘束された姿で目覚めただろう。隣には自分の最愛の夫が変わり果てた姿で冷たく死んでいるだろう。現実世界に戻るにはアリスは彼を殺さなくてはならなかったからだ。
仮想世界に止まって愛を選ぶなら、アリスは自我を捨てなくてはならなかった。アリスは自我を、自分の人生を捨てられなかったからこそ、現実世界に戻ってこれた。自分の人生を再び取り返すことができたのだ。
この映画は鋭い問いを女たちの喉元に突きつける。「愛か、自我か、どちらか選べ」と。
でも答えなんて決まってる。まず自我がなければ愛は生まれない。アリスが自分の人生を生きていて、ジャックを選んだからこそ愛が芽生えたのだ。愛のために自我を捨てるなら、その瞬間に愛も終わるはずなのだ。