「お疲れ様」と「頑張る」に感じる違和感の正体とは?
初めまして!ゲンジロウと申します。いきなりですが本題に入っちゃいますね。
ちょっと前ですがツイッターを見ていて、時代だな〜!と思ったのがコレ!
棚橋さんは新日本プロレス所属でトップレスラーの一人です。
パッと見「やっぱり超一流の人たちは言う事が違うなあ」
と率直に思いました。
でも何となく引っかかったので僕なりに掘り下げて考えてみました。
そもそも「疲れた」ってなんでしょう?
一番流通しているのは仕事終わりなどの「お疲れ様」でしょう。
お疲れ様とは?
仕事をしている人へのねぎらいの言葉。
ねぎらうことが前提なので、おおよそ本意ではない、我慢や苦労をともなう仕事をしている人への思いやりの言葉
と定義します。
そうです。
長友選手、棚橋選手はあくまで”好き”でその仕事を志し、やっているわけです。
つまり彼らはたとえ大変そうに見える試合であっても、好きなことをやっているという充実感があった上で、基本的に気持ちの良い疲労感に包まれているわけです。
ですから、前提として我慢が伴うネガティブな言葉「疲れた」にどこか違和感を感じているのではないでしょうか?
そういった状態をねぎらうポジティブな思いやりの言葉が
日本語にないのか?ただ埋もれているだけなのか?
いずれにせよ、この点に関しては気の利いた、もしくは新しい言葉を持ってくる必要があるでしょうね。
「お疲れ様」と「頑張る」はセットの言葉?
これとセットで考えるべき言葉に「頑張る」があります。
あることをなしとげようと、困難に耐えて努力する。(Weblio辞書より)
これも意味は、困難が前提なので、おおよそ本意ではない事に対して我慢して立ち向かうといったニュアンスが強い言葉でしょう。
ですから、好きで好きでその仕事をやっている人たちに対して
困難を困難だと思っていない人たちに対して
「頑張ってください」
というのは基本的に間違っているのです。
このお二人に関しては間違いなく、その思考で仕事に取り組まれているはずです。
ここ数年いろんなところで、頑張ってる人へ「頑張れ!」って言うのは失礼だ!酷だ!って話、よく聞きませんか?
僕はこれ、文字通りの意味に加えて、この言葉が持つ”役割”をもはやこの言葉ではカバーできなくなってることの一つの表れだと思ってます。
ただ好きでやってるのに頑張れって何?という違和感ですね。
ですから、ねぎらいの言葉として我慢して立ち向かう言葉として
これからも「お疲れ様」と「頑張る」は残るでしょうが
そうではないポジティブな言葉が必要な時代になりつつあるのです。
例えば「楽しもう!」だったり、英語の「Good Luck」のような言葉でしょうか?
目に見えて価値観が多様化しつつある現在、こういった「好き」を前提にしたポジティブな思いやりのある言葉がスタンダードになってほしいものです。どんな言葉がフィットするのでしょうか?今はまだ僕にもわかりません。
でも
疲れるだけが、頑張るだけが仕事じゃない。
仕事が楽しくて楽しくてしょうがない人たちがどんどん増えていく。
長友さんや棚橋さんは特別だけど特別じゃない。
そんな時代が、もうすぐそこまでやってきている。
そんな気がしてなりません。
そういう僕も40歳を迎えるまで主に「疲れる」ついつい「頑張る」ことを強いられる仕事をしてきました。人間楽しいことをする方が絶対自分の持ってるパフォーマンスを引き出せる!そう信じて楽しくnoteで発信していこうと思っています。ただの田舎フリーランスですが、僕が面白いと思ったことが誰かのお役に立てれば WinWinですよね。
今回が初めての投稿になります。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。