脳腫瘍患者がドラマ「アンメット」を見て感じたことー光と影ー
ドラマ「アンメットーある脳外科医の日記ー」の余韻にまだ浸っています。前回に引き続き、脳腫瘍患者がアンメットを観て思ったことを書きたいと思います。
三瓶先生とミヤビちゃんの関係の中で「光と影」がとても大切な意味を持っていました。その「光と影」は私の脳腫瘍の実体験と重なる部分がとても多かったです。
大切だと思ったところは大きく3つあります。
1 ミヤビちゃんが照らす三瓶先生の影
南アフリカでろうそくの火を見ながら二人で話すシーン。医師として多くの人の命を救い光をあてる存在になっても、重度障害者の兄を「兄のため」と言いながら見えないところに遠ざけでしまった思いが離れることはなかった三瓶先生。誰かが良いと思って光を放っていても一方で影になることがある。どうしたらくまなく照らしてアンメット(=満たされない)をなくせるのか?
「光」は、もしかしたら自分の大切な志、生き方、信念、夢なのかもしれません。暗闇にいたら、何も見えない。見えない中で外からの光を探し求め続けることは途方もなく終わりが見えません。
自分を一番照らす光を持つこと、それがあれば自分のそばにいる大切な人を照らすことにも繋がるなと思いました。
2 脳の後遺症の真っ暗な影
ドラマで記憶を辿っている時に、どんどん大事な場面が消えてなくなり最後にミヤビちゃんが一人たたずむ描写がありました。真っ暗な影の中にいて先が見えない感覚はすごく共感するところがありました。
私の脳の後遺症は誰一人同じ人がおらず、理解が得られにくいため孤独です。そして、脳は解明されていないことが多く、医師でも後遺症の原因もわからない、そのため解決策もない。
私「なんで私はこれができなくなってしまったんですか?」
医師「腫瘍が左前頭葉にあったため、情報処理に問題があるのだと思います」
私「では、どうやったらよくなりますか?」
医師「まだわかっていないです」
私「似た症状の患者さんはいますか?その人が行ったリハビリで効果があったものを知りたいです」
医師「いません」
私「現在研究中、または今後研究される可能性はないですか?」
医師「世界中どこ探してもないです」
こんな状況が続くとどうしても先行きが見えなくて、真っ暗な影の中に一人でいる気持ちになります。
3 三瓶先生が光となりミヤビちゃんを照らす
抗てんかん薬の量を変えて記憶が戻った時のミヤビちゃんの嬉しそうな様子が印象に残っています。空を見上げて木々の葉の隙間からの木漏れ日を眩しそうに眺める、街中の子どものほっこりするところを見かけた時や、レストランのチラシをもらうこと一つひとつで笑顔になっていました。
これらは日常の中で意識していないと見過ごしてしまうことだと思います。私も当然のように明日を迎えられると思っていた時は見過ごしてきていました。
生きている毎日に感謝をする今では、当たり前のようにやってくる季節の変化、お誕生日を迎えられた時、鳥の鳴き声など一つひとつが全て愛おしく感じます。
治療を全て終えた病院の帰り道、ふといつも通っている公園の芝生が青々として見えました。急に視界に彩が溢れてきて、思わずベンチに座って空を眺めた時に、あまりに美しい空で涙がこぼれました。「私は生きているんだ」と実感できた瞬間でした。
たとえ少しの可能性しかなくても、全力で自分を助けようとしてくれている三瓶先生は、かつてミヤビちゃんがしてくれたように内側から溢れ出す光になって、ミヤビちゃんの真っ暗な世界を少しずつ明るくしてくれたんだと感じました。
光と影が織りなす愛の形は美しく、切なく、言葉では言い表せないくらいいろんな感情が湧いてきて、今思い出すだけで胸がキュッとなります。お互いを照らし合える二人の物語は忘れられないものになりました。ドラマ自身が私たちを照らしてくれました。素晴らしい作品をありがとうございました!