とおくのまち12

一月、新年を迎える。家族が揃って遊んだ最後のお正月となった。
田舎だったので、のどかに凧揚げなどやっていた。家族総出でバトミントンもやった。子供と十二支の動物たちを模ったお手玉で遊んでやったのをおぼえているが、その年がどの干支だったかははっきりと思い出せない。

子供と楽しく過ごした最後の記憶は、それから二週間ほど後のことで、近くの幼児教室みたいなところへ、妻の代行でわたしが付添ったときのことだ。順番に名前を呼ばれていく子供たち。うちの子の番が来て、呼ばれると元気よく返事をして、名札をもらいに走っていったのがうれしかった。
もしかしたら、めずらしく付添った私に、よいところを見せようとはりきっていたのかもしれない。
その時は知るすべもなかったが、奇しくもそれが最後の想い出となった。

新年ということもあり、なにもかも払拭するかのように、仕事にも熱を入れてがんばっているつもりであった。
しかし、その努力とは裏腹に精神的には、かなり苦しく、布団から起き上がれないほどのうつ状態に陥ることが多くなり、妻子たちからの印象も悪化しているのが手に取るようにわかった。

 二月になった。街を歩いているとショーウィンドウにきれいな色の春物の服が目に付くようになった。着てみたかった。いや、そこに飾られている服は、わたしが着るために置いてあるようにすら思えた。

 ある夜、コンビニに買い物に行った折、電話ボックスに入り、あの店に電話をかける。ママは、まだ来ていないようだ。
前に、教えてもらった携帯電話にかけてみる。
話は通じた、明日の七時に店で待合せということになる。私は、夜食と雑誌を買うと、家に帰り、いろいろと整理にはいった。

 翌朝。動きを察したのか、妻が連絡をいれたのだろう。私の不審な行動をマークするために父が突然、自宅に訪れた。父は、出来の悪いわたしと違って、頭は切れるしケンカは強い、家出を悟られて捕まえられたら逃げ出せるすべはないだろう。
しばらくして、私は洗面所に顔を洗いに行った。そして、水道の流れる音を大きくし、その音にまぎれて家の裏から脱出した。
私は居間にあったお金を財布にいれ、手近にあったバッグに必要そうな日用品をつめた。
勝手口から出て行ったけれど、すぐに追いかけられるだろうから、最寄りの駅へは向かわずに、一つ隣の駅へと速足で行った。慌ただしい旅立ちになるけれど、もう行くしかない……、そして、今度こそ後戻りはしない。
行こう、遠くの街へ。


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