とおくのまち 7 崩れ行く家庭

結婚式も終わり、新婚旅行から戻る。
義務と責任感だけで生きているような毎日だ。新しい生活が始まるだとか、人生の門出だとか、そんな戯言は聞きたくはない。
私にとっては、もう、なにもかも終わったようなものであった。


数ヶ月経ったある日のことだ。

休日出勤をした関係で、たまたま会社から休暇を与えられた。
「このチャンスしかない」

普段のような出社の格好で家を出ました。もちろん、行き先は会社ではなく、向かったのは、新大阪にあるあの女装ルーム。

きれいな黄色のツーピースのスーツを着た。

手持ちのカツラさえ処分してしまっていたので、服から鞄まで、ほとんど、レンタルをしてまかないました。まさに、初めて女装したときのように、新鮮な気分になった。

もう2度とないと思っていた変身を遂げ、どれほどうれしかったことか。

いつもの仮の姿から本当の自分に戻ったようで、日々の耐えがたい虚構の生活を思うと涙が滲んだ。

久しぶりに、外を歩きたくなって、そのまま、二駅ほど電車に乗って散歩に行き、みつけた喫茶店でお茶を飲んだように記憶している。


 そして……行動はエスカレートしていった。
嘘の理由を作っては、秘密の行動をとるようになっていった。

 休日出勤で会社に行かなければならないとか、学生時代の友人たちと飲み会があるとか、会社の研修にでなければいけないなど、次々とでっち上げては、あの女装ルームに通っていた。

 妻と過ごした日など、あまり記憶にない。やがて、父からも、休日の行動を咎められるようになった。女装のことは、感づかれてはいなかったと思う。

 インターネットをはじめるようになると、ネット上では、女性としてふるまうことがほとんどだった。ただ、いたずらやおもしろ半分で男性が女性のふりをする「ネットオカマ」ではない、真剣だった。

 インターネット、この空間でなら思い通りの性別として振舞うことが出来る。それが、うれしかった。女の子として、メールをしているとだんだんと仲良くなっていった人ができた。
その彼は、何度となく会いたいというようになった。
私も好意をもっていた。

 そして、かなり長文になったけれど、自分の正体を明かす、文章をつづって送った。本当の女性ではなく、女装した男性であると告白した。

まだ、性同一性障害ということばも知らなかった、そんな時代でした。
理解されるとは思えず、罵倒されるかと心配でした。

 彼からは、なぐさめにも近い返事が返ってきたのです。
全部でなくとも少しでも理解されたのかなと思えました。


 しばらくして、実際に、彼と会いました。
お茶を飲んで、少し話をしただけでしたが、家に着いてパソコンを開けると好意的なメールが届いていたので、とてもうれしかった。実際に会うまでの時間が長かったから、よかったのかなぁ。
それから、何度か会ったけれど、いつも、ほんとうの女の子を扱うようにして接してくれた。
車が大好きな彼は、よくドライブに連れて行ってくれたなぁ。

 でも、ほんとうにノーマルなひとだったので、女装にはどこか抵抗とかあったのでしょう。体にふれたりとかそんなことはなく、恋愛というより、子ども同士のデートのような雰囲気でした。


 一方、家庭では……。
実は、もともと、それほど険悪な雰囲気はなかった。
妻には、結婚してしばらくした後、女装のことを話していたけれど、趣味の範囲ということで、大目にみてくれていたのかもしれません。
今にして思えば、人間として素晴らしい人だったと思います。

 しかし、それをよいことに、私がエスカレートしすぎたのが命取りになったのだと思う。もはや、ボーイフレンドとの恋愛ごっこに興じている事態ではなくなっていた。

 しだいに、「離婚」という言葉が頭をのぞかせるようになってくる。

 そして、我が家庭内に、「次、女装をすれば、即刻、離婚する」という戒厳令が布かれた。

家庭崩壊の危機を真摯に受け止め、素直に降参すればよかったのか。

止めない者に、制止の圧力をかけた場合、たいてい逃げるか隠れる、地下に潜ってしまう、つまり、レジスタンスやゲリラ化してしまうわけだ。
ここからは、もう私と妻のイタチごっこでしかなかった。

 一刻も早く家に帰るため、駅や道路でも、人込みをかき分け、駆け足で急ぐ。

しかし、妻の気を静めるのには効果はなかったのだろうか、私が家に帰っても、食事は用意されていないということが続くようになった。やがて、妻とは別々の部屋で寝るという暗黙の了解のもとに、目に見えない壁がそびえたち、ついに崩壊する日は来なかった。
 
 やがて、「女装の道具も、すべて、捨ててね。写真もぜんぶ」と言ってきた。

ある日、私が帰宅すると、押入れに隠してあった女物の洋服がすべて見つけられ没収されていた。パソコンや電気製品の箱などに周到に隠してあったというのに、どうして?

 しかし、それだけではすまなかった。まだ、妻の態度はおかしい。

なんと、妻は、彼女の両親に相談したらしい。そして、私に妻の両親の前で謝り、二度とそういうこと(女性の服や化粧品を買ったり、女装をしたり)をしないと誓えという。

私は、そんなことはできないと答えると、それなら、今すぐ出て行くといい、実際に、そうしようと用意をはじめたのだ。

 なす術もなく、妻の実家へと車を走らせる。針のむしろに座らされることとなる。

いつものように愛想よく出迎えられることはなく重い空気に包まれた居間へ通され、まったく、理解されるはずもなく、ひたすら謝罪させられた。

未熟者の過ちということで御指導を受け、今後、しっかり精進しなさいという展開になる。しかし、妻の表情は、まだ、やわらぐことはなかった。

そして、事態はますます暗転していくのだった。


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