とおくのまち11

昼頃、チェックアウトのため起きる。
ホテルを出て、自宅へと荷物をとりに行こうと思った。
もう、思い切って、女装のまま、行こうかなという考えが走ったけど、
家の近所を歩くのは、やはり気後れし、男装にもどって自宅へと向かう。

 鍵を持ってなかったので、入れなかったら困るから、妻へ電話で確認する。それが、まずかったとあとで気づくのだが…。

最寄りの駅に着き、もうここにも来ることもないかもなぁ、などと感慨にふけりながら改札へ行くと、なんと、改札のむこうに待ち構えていた3人の影が目に入る。

 妻と、我が子。そして、母・・・まで。
たぶん、事情はよく知らないであろう母がなぜ、ここにいる。
しかも、その表情からは、今にも泣き出しそうなのがうかがえる。
そして、母は足を怪我しているようだったので、すごく心配になる。
三人にエスコートされて、とりあえず、自宅へ。

 今なら、帰れる???。
しばらくすると父が現れる。どうやら、会社を休んで待機していたようだ。母は、体調を悪くしていたので家へと帰っていった。
私の失踪と、それに及んだ状況を知り、昨日から具合を悪くしているらしい。
母には、体があまり強くなく気をつかうとしんどくなる。それで足を悪くしたのだろう。
荷物を持って出ていくどころの状況ではなくなってしまった。
 父の説得で、妻は、離婚の件も思いとどまり、もう一度、私にチャンスを与えるという。

私はどうしていいものか、考え込んだ。 ゲイバーで、働くことにしたという話も打ち明けた。
覚悟をしめしたつもりが、猛反対され、その場で、ママに、お断りの連絡をいれさせられた。

 今度は、父が、私に説得にかかった。今までの行いは、水に流し、とがめないという。そして、私の性癖も理解はできないが、それもとがめはしないと。
どうする? この話しに乗るか? 私の思いは、すでに、ここにはなかった。いまさら、いくら条件を出されたところで、乗れるだろうか?

  ところが、そうこうしている間に、母の症状かひどくなる。
入院するほどではなく、ほっとしたが、私が心配をかけたからであることは、あきらかである。母の体には、気をつかわせることが一番悪いことなのだ。
自分の命は、犠牲にしてでも、行きたかった。ああいう世界にいけば、ほんとに、命を縮めるであろう。それは、覚悟していた。
このまま、長生きしても、この悲願はかなうことはない。ならば、この命と引換えて夢が叶うかもしれないのなら、そうしてもよい。

しかし、私が、そうすることにより、母は、どうなる?
私には、それでも、行くことはできなかった。観念した。父の出した条件をのむ。
これで、なにもかもが元のさやに納まり、家族がみんな幸せに暮らせるのなら、私の犠牲くらいは覚悟しなくちゃ、そう観念していたけれど、平和な毎日ではなく、さらなる茨の道が広がった。

  妻は、きつい行動をとった。心を大切にする人だったら、よかったのに。なんと、私に念書を書くことを求めてきた。法的な効果は、私にはよくわからない。今度、女装したりすれば、この家を明け渡して、離婚し出て行ってほしいという恐ろしい内容あった。

父ですらも、さすがに、その話しには、あきれておどろいた。
しかし、その時の、私の立場では、その念書にサインするしかなかった。

  そして、その紙切れを振りかざした妻による圧政のような日々が続き、私の心は疲れて行った。どこまでこんな毎日に耐えられるだろうか。

わたしの大切にしていたものは、なぜ、もう私の手の中にない?
なつかしい大事な想い出のポートレイト写真は。小遣いの大半をはたいて手にいれたネックレスは?
やっとの思いで買ったあのプラダのチェーンバック、大好きだったわたしの分身のようなアイテムたち、家においておけず、コインロッカーなどを転々とさせて隠し持っていた女の子のもつような品々、もう、いない。
 キティのマスコット、ディズニーや白熊の絵のアルバム、中身は私の想い出の写真、もうこの手のなかにない。

 失ったわたしの想い出、わたしの魂。
こじれてしまって、もう元には戻ることはないような状況でした。
冬の訪れとともに、年末までどのように過ごしたのか、思い出せません。

 歯がよく痛かったので歯医者に行ったし、年末で仕事も忙しかったのだろう。とても辛くて悲しい冬の時代でした。

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