#79「ゆるしなさい」という言葉の重み。最終自分が救われる。傷つけられた相手を傷つてやろうと仕返しを実行した日。結果自分が傷ついたというオチ。(貧困幼少期からNPO代表理事までを振り返る)
スキを頂くとみて貰えているのだなぁと幸せ貰っています♪エゴちっくなnoteなのですが、原動力は皆さんのスキです。ありがとうございます!
中学生にもうなるぜの手前で陰キャラチックなエピソードだけ吐き出させてください。
人はいつでも悪魔にもなれるし、天使にもなれる
幼少期の心の傷の一つに、先生から決めつけられた体験。あの日の悔しさと悲しさは今でも忘れられなくて、いつでもタイムスリップしちゃう・・
悲しかった大好きな先生に疑われた日
この事件から先生という大人が、ビックリするぐらい苦手になっていました。(保健室の先生は違ったのですが・・)
どれだけ優しくて人気者でも、違うところに本音は出るから。
転任した先生は何度か学校に来ていました。
先生はとっても人気者だったので、先生の登場に歓喜の声が聞こえてきます。
『〇先生が来ているらしいよ』そういって走っていく。
私は走っていくことなんてありません(笑)顔を合わせたくないのです。
何年たってもあの日のことを思い出すから、先生が来たと分かると逆の方へ逃げていました。(自己防衛)
理由は嫌いだったからです。
自分が誤解を受けるようなことをしたのがそもそも悪かったのですが、そんな風に思えるだけの気持ちがありません。
どれだけ忘れようとしても忘れられなかった先生で、好きな先生だったからこそ、思い出すだけで憎いという感情でいっぱいになりました。
先生は何度か来ていて毎度毎度逃げていたわけですが、先生が来ていた時に同級生から話しかけられます。
『さっき、〇先生が、気にかけていたよ。話して来たら?』と教えてくれました。私は「そうなんや♪」と聞きつつも、内心ざまーみろと感じていました。
私は地味な生徒で、目立つ子ではありません。
だからこそ、先生が私の名前を気にしているという理由であげるとしたら、あの事件の名残しかないと思っていました。
私は思い返すと相当苦しかったので、先生自身もあの日のことを責めて苦しみ続ければいい、と本気で心から思っていました。許したふりしてゆるせてなかった。「先生!」って嘘でも話しかけることは出来ますが、それは私の心が拒否していました。
苦しめ―――っ。楽には絶対させてやらない。
何とも禍々しい感情ですが、私なりの苦痛の味合わせ方だったのです。
もちろんその日も先生に話しかけになんて行きません。
しかし、その日は廊下ですれ違ってしまうのです。
先生は私に話しかけてきました。
私は聞こえないふりして通りすぎ、振り返る事もしませんでした。
拒絶することでしか自分を守れませんでした。
ざまーみろって思いつつも、話しかけてくれる人を無視しかも、過去の事が影響していると分かっていてしていることで自分の中で生まれた後味の悪さは何年たっても消えません。
怒りでぶつけたくなる感情はあれど、ゆるすことって大切ですね。
この後で思う事ですが、相手に傷つけられたから、相手を傷つけていいという発想は、結局自分を傷つけることになってしまうのでおすすめしません。
私はこの時のゆるせなかった事は、ずーーっと残ってしまっているのです。
聖書で赦(ゆる)しなさいという言葉がありますが、赦(ゆる)すことは最終自分を救うことになるのではないかと感じています。
先生だからって完璧ではないし、大人だからって何でも知っているわけじゃないんですよね。
大人=正解を知っている人だと思い込んでいた私。
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ささいなことで人生は変わる! その一歩は自分が踏み出すこと。
見て下さったあなたの何かを踏み出す
キッカケになればと思って綴っています。