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#39親に対して求めることを諦めた日。怒りの原因は期待。諦めると怒りもわかないんですよ(笑)そもそも期待というものは自分の希望の押し付けでしかないんですけどね。(貧困幼少期からNPO代表理事までを100日で振り返る)
読んで下さっている方から「悲しい・・」と切ない声を頂きましたが、大丈夫ですよ。これハッピーエンドです(笑)エンドしてないけど・・(笑)
失敗して落ち込んだり、疲れてよく眠りますが、基本元気印です。
期待を捨てると傷つくことも何もない
母がパチンコ狂になって、卒業までには何十年も掛かりました。
その話はこちら・・
今の表現でいうと推し活はパチンコ♡なんてことになるのだと思いますが、正直子供としては笑えませんでした。
ある日・・・
パチンコで出かけていた母を留守番する中で帰ってきました。
「おかえり!!」そう駆けつけたところ、
『あかん。負けたわ。』そう言って母はへそくり(100円玉が時々入っている箱)に一直線に進んで徐に漁り始めました。
咄嗟に(これはまたお金持ってパチンコ屋さんに行くんだ!)と感じたので、思わず母の手にしがみついて
「お母さん、もういいやん。パチンコやめよーよ!」と心底の本音を伝えました。
その時・・・・
『うるさいな!』と払いのけられました。
勢いで床に座らさられる形になった私のポーズは、人魚姫のような足の揃い方でした。
内心・・・真っ白でした。
『お母さんこのままじゃ諦めきれへんから、もう一回パチンコ屋さん行ってくる!あんたも来るか?』
母は百円玉を軍資金にもう一度パチンコに行くといいます。
「うん・・・・」そういって私は自転車の後ろに座りながら、
(何でこんな人が親なんやろ・・・・)
(パチンコがこの世からなくなったらいいなぁ・・・)
という事を考えていました。
そのパチンコ屋さんは川のほとりにあり、店はあまり好きじゃなかったので店の外でぶらぶらしたり、石ころを触ったりして、母がプレイするパチンコ台との往復をしていました。(今はもうありませんでした)
世間の親と自分の親との違いに何とも言えない絶望感があって、ひとりで遊びながら、あんな人、親じゃないなぁと思っていました。
その日母は勝ったらしく、自転車の後ろに乗りながら帰っている時に
『お母さん、全部お金使ってしまってさ、もうあかんわってなってなんとしてでも取り返さないとあかんわって思ったんやわ。何とか取り返せたしよかったわ!』と嬉しそうに話す母に
「うん。よかった」と返しながら
早く大人になりたいなぁ。。そしたら、こんな暮らしじゃなくなるのにな・・ということを寝ても覚めても願っている時期でした。
親は自分のことを大切にしてくれる存在だと思っていたのですが、跳ね飛ばされたことを通じて、親という存在だけど自分にとってはもうよくわからない存在になっていました。
世間的には親だというカテゴリーではあるものの、自分にとっては親じゃないという諦めを持ち始めた時期です(笑)
親は子供のことを考える存在だという思い込みを諦めたら、何をしてくれなくても怒る気持ちにもならなくなりました。親と自分の分離です。
怒りの下には期待がある。こうしてくれるという期待を捨てたら自由になれました。
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ささいなことで人生は変わると信じています。
それは、人生の大きな決断の手前にあるキッカケになるのではないかと。節目を思い出すと決断の前には、ささいなキッカケがあったからです。見て下さったあなたの何かのキッカケになればと思って綴っています。
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