頬粘膜がん 469日目 もういいんじゃないかなと思うこと
頬粘膜癌 461日目。
血圧 127 - 90 mmHg
血糖 - mg/dL (朝食前)
酸素 99 %
脈拍 69 拍/分
体温 36.4 ℃
体重 73.6 kg
白い顔をしていた。
腕も脚も木の枝のように細くて、内出血であちこち青黒くあざになっていた。
目の焦点があってなくて、時々ピントがあったようにこっちを向いたような目線があるが、それも一瞬ですぐにどこか遠くへ意識がもっていかれてしまう。
そんな感じだった。
お義母さんの主治医から呼び出しで病院を訪れる。通常は火曜日に妻が毎週訪問していて、時々僕はこうして何かある時は一緒にお見舞いに行く。
実は1週間ほど前に病院からお義母さんがコロナに罹患したと連絡があり、面会謝絶となった。(院内感染で同じ階の患者が数人罹患しているっぽい)
主治医からは”いよいよ危ない”という話を聞く。もちろん覚悟はしていた。いやずっと前から覚悟している。けれど、覚悟しているということとわかっているということは別の問題だ。
血液の数値が良くなく、熱が出て、食欲が無く、殆ど寝ている。意識がもうろうとしていて、会話はすでにできない状態だ。
昨日の未明と今朝と、2度ほど酸素飽和度が一気に80を切って呼吸が止まりかけたらしい。今朝は朝食をほんの少し食べさせて貰った後、しばらくしたときに自分で酸素マスクを外してしまったらしい。
白血球の数値があがらないので易感染性になっている事、輸血の処置がそろそろ必要かもしれない事。それでも、いつどうなるか判らない事。
「覚悟しておいてください」
と先生の言葉。コロナはもう大丈夫なので病棟へどうぞとお見舞いの許可が出た。
病棟へあがる。
1ヶ月前に僕はお見舞いに来ているけれど、その時も随分痩せたねと思っていたが、今日はまるで別人のようだった。
10分ほどの短い面会の間、いつもは眠っているという事だったがずっと目を開けて妻の方を見たり、ベッドサイドにいる看護婦を娘と勘違いしているのか、そっちをしきりと見ていたり、どこか遠くへ行ってしまったり。
お義母さんの手を妻に握らせて、お義母さんは一生懸命に妻の手をぎゅっと握ったり力を緩めたりを繰り返す。何か言おうとしているのかもしれないが、言葉は出ない。そんな時間がしばらく流れた。そっと病室を後にした。
もしかしたら、これが最期になるかもしれない。と、思った。
去年の冬からそんなことを繰り返しているので、案外まだ時間があるのかもしれないしそれは誰にもわからない。
もしかしたら、僕が同じようにそこに横になっていたかも知れないと、ふと考えてしまう。今は再発の兆しもないし、がんはおとなしくしている。後遺症でいろいろ不自由はあるけれど。
けれど、少なくとも5年経過するまでは予断を許さないものであることに違いはない。もしかして、すこし息をつけるのはその時になってからだ。
お義母さんは手を握りながら何を言おうとしたんだろう。
僕が同じ状態だったら、何を言おうとするだろう。何も言葉を発する事が、意思を伝える事ができなかったら、どうなんだろう。
今日、お義母さんの顔を見られて僕は嬉しかった。
でもそれと同時に思ってしまった。もう、いいんじゃないかなって。
今日もいい1日であったんだろうか。
追記
最期に、ジクトルテープの効果はなかなかのもので、薬さえ効いていれば痛みはさほど感じずに過ごせる時間もかなりある。まぁ、それでも3時間おきぐらいに痛みの波はやってくるのだが大波から、やや大きな波ぐらいに治まっている。激しい痛みはなくなってきたが、口の中(舌)のしびれというか痛みは既に持続的で舌が腫れ上がって大きくなっているように感じる。
ご飯粒が食べにくくなってきていよいよ食事が面倒になってきた。食べるけど。
それでも、食事以外の時間で痛みがあまりなく過ごせるのは凄く楽だ。薬を大量に飲んで頭が少しパーになっているが目は覚ましていられるような感じもある。仕事に行ってみなければそこら辺はわからないが、少なくとも休みはずっと布団の中という状態からは脱している。ありがたいことだ。
いろいろ、ご心配してくださり暖かい言葉をかけてくださった方に感謝します。