頬粘膜がん 181日目 誰かが言ってた、教育と教養が大切だ
頬粘膜癌 181日目。
血圧 105-77 mmHg
血糖 - mg/dL (朝食前)
酸素 99 %
脈拍 79 拍/分
体温 36.4 ℃
体重 72.5 kg
今朝の体重、前日比-1.9kgってこれはきっと昨日の数値が少し怪しいような気がするな。流石に1日で2kg減はないと思うんだがw
ここ、半年の体重の推移である。いやぁ減ったねぇw
20kgほど減ったもんだからそりゃ男前もあがるってもんだろう。っていうかケツの肉が少なくなって座っていると痛いのが辛いw
で、この1ヶ月というのが退院してからの状態。これを見ると見事に体重管理されているのがわかるってものである。やれば、できるってやつだ。標準体重でいえばまだ5kgぐらい減らしてもいいんだが、まずは今の状態でキープしておこうかと思っている。いざというときのマージンが多少あっても良かろうというねw 調子が悪くなれば嫌でも体重が落ちてしまうことがあるからだ。
昨日気が付いたのだが、頬粘膜がんと宣告されてちょうど180日が経過した。
180日と言えば半年である。そうかぁ、半年も経ったのかとも思うし、まだ半年しか経ってないのか?とも思う。いろんな事があったと思うと、これだけいろいろあってまだ半年しか経ってないんだなぁと思うわけだ。この半年で数年分のわちゃわちゃを経験した感じがする。
告知受けて、手術して、一時退院がなかなか症状が改善せずやや伸びて、正月は家で過ごして、再入院して、放射線治療と抗がん剤治療して、副作用でヘロヘロして、退院して自宅療養(今ココ)。
事実だけを述べればそういう事で、その度々にあーでもない、こうでもないと思ったり思わなかったり。半年の経験ならなかなかの充実ぶりである。まぁ充実さを求めている訳ではないので今後の展開としては少しなだらかになっていただいてもよろしいのだがと思う次第だ。こればっかりは僕の都合だけでは決まらないんだけれどもね。
で、今後の展開がやや緩やかになるかならないかは5月12日のCTで左右される部分も多分にある。この結果次第では急転直下の引き続き激動編みたいな展開になる場合もないではない。一応、緩やか路線を望んでますよと自分に対して言っておこう。もしかして気のいい神様なんてのがおられたら聞こえてますかね? 自分に言っておくというのは、自分は自分がないたいようになるのであるというモットーに基づいて。こんな将来がいいんだと思わないとそういう未来をつかみ取ることはできないかもしれない、と思うわけだ。
なんせ、次のミッションは”がんが落ち着いたので仕事してみようかな”である。映画のタイトルでは不可能大作戦が Mission Impossible だから僕の場合は Mission Possible って感じでどうよ。
で、本日は職安へgoである。昨日は市役所今日は職安と、なかなかに忙しい感じがするじゃないの、と思いながらバスにゆられて職安のある町へ。
で、職安では障害者相談窓口なんてのがあったりするわけです。一応、視覚障害があるし今はがん患者でもあるからねw
あ、豆知識になるのかどうなのかわからないが、がんの治療で副作用がいろいろ残った場合、障害者認定を受ける事ができる。例えば放射線治療なんかを受けるとその後継続的に可動域障害が出たり僕の場合だと呼吸機能の低下があったり、難聴になったり、味覚がおかしくなったり、それらの状態によって障害認定が受けられる場合がある。手術や化学療法でもなにがしかの後遺症が残れば可能性があるわけだ。認定の結果、3級とか認定されると厚生年金の場合は障害年金が支給されて月あたりそれなりの金額を受け取れる。収入が多いと金額も大きくなるのでは無かったかな。そこら辺は詳しい人に聞いて欲しい。がん患者ならば、かかっている病院にソーシャルワーカーがいたり、社労士の人との無料相談があったりするので申し込んでいろいろ教えてもらうといいと思う。ぶっちゃけるけれど、がんになったらいついかなる時に再発や転移が発見されて療養生活に逆戻りとなるかなんてのは分からないんだから。もし、月々いくばくかの年金が受け取れるということになれば生活の基盤の安定が図れるので心労の一部が解消されるというものだ。心配しなくちゃならないことは山ほどある。金の心配はできればしないですむほうがいい。
ちなみに話はここまでにして、職安で休職活動である。
次の仕事を探すという事で職安に行ったんだが、まずは雇用保険の事からご教示いただいた。普通は自己理由により退職すると、失業手当が受け取れるのは2ヶ月後からである。だが、がんという病気で半年くらい休職していて以前と同じ仕事をするのが困難だということで退職したとしたらもしかしてすぐに失業手当が出るかも知れませんとのこと。これは申請してみて審査によるから一概にはいえないがその可能性もありますよと担当者談。なんとも優しいことである。で、早々に職が決まれば受給する予定だった失業手当のいくばくかが一時金として一気に支給されて就職準備金として使えるらしい。ありがたいことである。
一応、目処もあるにはあるんだがそれは今後の展開である。
ということでいずれにせよ離職届とか資格消失証明書とかが会社から出るらしいのでそれを持って申請に来てねということである。一時金がいただけるならスーツの1着でも新調するのもいいかもしれない。なんせ、サイズがねw 会わなくなっているっぽいので。
職安に行った後は大学病院へ。お願いしてあった傷病手当と保険会社用の3月分の診断書ができたとの連絡を受けていたのでそれを受け取りに行く。これで、入院時の分の保険請求は終わりだ。傷病手当は4月分も申請するのでもう1回診断書が必要だけれど。
さて、自宅に一旦戻って昼食。
今日は帰りにスーパーによってざるらーめんを買ってきた。さっそく茹でで食べてみる。うん、これはなかなか食べやすい。ただ、ちょっとピリ辛だったので、口が痛いw
粘膜の損傷が続いているのでぼちぼちと辛いものが食べにくくなってきている。
昼はもっぱらうどんやそばなど麺類が多い。あるいはおじやみたいなものとか。ざるらーめんとかつけ麺みたいなのは食べやすいし美味しいね。
腹が満たされたら次はお義母さんの病院へ。
主治医が今後の治療方針について家族と相談したいので来て欲しいとのこと。これは行くしかあるまい。という訳で妻と一緒に病院に顔を出す。
主治医の先生、初老の男性で髪の毛は白と黒のマーブルな感じ。やや長めにされている髪型はちょっと五木寛之っぽいかw
赤血球の数値も下がっており、酸素飽和度が下がりまくるので動作時の呼吸状態が悪い。輸血によって改善すると動作時楽になるので輸血の方向で治療して良いかねって話である。末期で緩和治療を希望している形での転院だったので医師も気を遣って下さっているようである。このままだとしんどいばかりなんだったら輸血とかもいいかなとは思うわけでその方針で進めていただくこととなった。
主治医の先生との面談のあと、病棟に寄ってお義母さんの顔を見にいく。市民病院の診察券を預かって次に市民病院に。
市民病院ではお義母さんの入院期間の診断書を書いて貰う申請である。
とまぁ、あっという間の1日であった。
ある先輩が言ったのが「年を取ったら教育と教養が大切なんだ。今日行くところ、今日用事があること。それがあれば惚ける事もない。」である。なるほど。
今日は行くところも用事もあった。よしよし。これで惚けないね。
今日の食後のデザートはエクレア。なんか、少しずつ好みの変化とかもあったりなんだりで、クリームよりももっとシュー生地が沢山あればいいのにと思った。前は子供味覚だったからクリームたっぷりが嬉しかったんだけれどもね。
大人じゃんw
今日もいい1日であった。
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