頬粘膜がん 131日目 体や心が僕に伝えてくれることに耳を傾ける
頬粘膜癌、131日目。
血圧 114-81 mmHg
血糖 101 mg/dL (朝食前)
酸素 97 %
脈拍 61 拍/分
体温 36.7 ℃
体重 76.9 kg
無事に昨日放射線治療を完遂した。
抗がん剤治療についても昨日最終クールの投与を行って今日の所は大きな問題もなく経過している。今回の入院についてはやるべき事はすべて終わったと言っていいのだろう。
ほっとしたという気分と、なんだか気が抜けてしまったという気分が同居している感じだ。数日はこんな感じなのかも知れない。
前回の原発巣の摘出手術および頸部郭清を行った後、一時退院した後の放射線及び抗がん剤治療での再入院に際して、僕自身はその時にはまだそれほど、今の状態や今後の事なんかについて考えていなかった部分もある。というか、まぁ、とにかくいろいろな事が次々と押し寄せてきていて、そんなにじっくり考えてられなかったというのが本当の所かもしれない。
大きな手術を行って、なにか達成した気分になっていたのもあるだろう。こんなに大変な手術をしたのだから、あとは良い事が続くのだと本能がそう思いたがっているというかそう考えてしまうものなのかもしれないと思う。
実際に、再入院して抗がん剤と放射線治療を開始しても暫くはその続きで、今やってるこの治療も最後のおまけみたいなものだとどこか自分の身近な事としてではなく、遠い所っで起こっている事のように感じてスタートしていたと言えない事もない。
途中でちょっとした主治医の先生との行き違いで、放射線治療についての僕の認識が改まることがなかったら今でも同じように感じながら治療を完遂していたのかもしれない。それはある意味幸せなことだったかもしれないし、そうじゃないかもしれない。今はもちろん自分の事が自分でわかっているということに安心感を感じている事は確かだと思う。
決して絶望的な意味で言うのではないが、僕は頭頸部がんという希少部位のがんに罹患して手術をした。その後の放射線治療も化学療法も行った。
それでも、最初から決まっている事のひとつとして決して高い5年生存率があるわけではないという事を理解して生きているという事だ。その上で生きていく。どのように生きていくかはその時その時の一歩一歩で決めていく事になる。運が良く過ごせれば良いと思うし、そういう”運”というものはただそこにあるものではなく、”運”がいい場所にいたり、”運”のいい出来事と出会ったりの積み重ねなのだろう。
良く、人は○○によって生かされている。という言い方をされたりする。
もちろん、それも間違っていないんだろうと思うけれど、僕はどうせなら生かされているよりも生きていると感じながらいる方がいいなと思っている。
だから今日も生きている。
いずれは誰もが死を迎えることは決まっている。その中で、他の人達よりも少しばかり確定的な死を意識して生きるという事が日常になった。そうなってみないと分からない事というのは確かにあるんだなと思う。
「誰だって、いつかは死ぬ。交通事故で明日しぬかもわからない」と言われればその通りだと思うが、明日交通事故で死ぬ可能性の事をあなたは考えないし、僕だって考えない。5年以内に死んでいるかもしれないことは僕は考えるけれど、あなたは考えない。その違いがあるだけだ。
5年以内に死ぬかも知れない事を考えるという事は5年間を生きることを考えることだ。今まで生きる事なんて考えた事もなかったんだからそんなに簡単に結論なんて出ないし達観なんかもできない。
ようやく 生きる事を考える 事ができるようになったという事だ。
考える事ができるようになったからと言って、突然生活がきちんとしたり、気持ちが改まったり、人格が激変したりはしないけれど、毎日小さな変化が体の中や心の中に起こっている。その声をそっと聞いている。次はどっちへ向かえばいい?
今日もいい1日であった。
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