頬粘膜がん 560日目 顎の関節と精神的な呪いの話


 頬粘膜癌 560日目。

 血圧 98 - 62 mmHg
 血糖 - mg/dL (朝食前)
 酸素 99 %
 脈拍 62 拍/分
 体温 36.6 ℃
 体重 69.1 kg

 先週の金曜あたりに、放射線性下顎骨髄炎の影響で耳が痛いという話をした。
 多分その日の夜中に事件は起こった・・・・・・のだと思う。気が付いたのは翌朝以降の事なのでw 耳の後ろが激烈に痛いという状況が一変してなんだか耳や頭の痛みが若干ゆるやかになった気がした。そして、顎が変になったw

 うん、変になったっていうのは変な言い方なのだがまぁ他にいい表現のしようがないので仕方ない。
 なんだか、昨夜までは左の奥の顎関節はきっちきちに狭い感じだった。顎関節が狭いとかこれも変な表現だが。頬の筋肉が引き攣れているのでそれにともなって顎の関節の可動域が著しく制限されている状態だった。口を開こうと思っても左側の頬の引きつった筋肉が引き攣れてそれ以上伸びようとしない。開こうにも口が開かないという状態だった。それが、なんだかわからないのだが、左の顎関節がゆるゆるなのだ。通常のかみ合わせとは違う位置に歯が並んでいる感じ。そのまま口を開けたり閉めたりすると本来の位置じゃないところでかみ合わせてしまって上の歯がしたの歯の後ろ側に収まってしまいそうになる。かみ合わせが変になって歯に無理がかかりそうな感じだ。常に上の歯がしたの歯の後ろ側だとか、普段かみ合わせる隣の歯の部分だとかに噛み合ってしまいそうでとても危険な感じだ。
 多分実際にはそんなことはないんだろうけれど、放射線性下顎骨髄炎のせいで僕の歯は上下ともにかなりぐらぐらな感じになっている。なんだったら虫歯でもないのにぐりぐりと力を入れて指で押せばポロリと歯が抜けてしまいそうな感じなのだ。そのような状態で変なかみ合わせで思いっきりかみ合わせてしまうとマジで歯がゴロリと外れてしまいそうだ。
 おかげでこの土日はへんなかみ合わせの状態で口の開け閉めにえらく気を遣う羽目になってしまった。
 月曜日の今日ぐらいは、なんとなく歯の収まりも良くなって歯全体が浮き上がったようなあの変な感じはなくなっている。

 と言うわけでこの3日ほどは顎がなんだかグラグラな感じになっていた。

 歯並びもおかしな感じになっていたし、なんだか奥歯のあたり(どこというのがさっぱり分からないのでどうにも気持ち悪いんだが)からの滲出液というかなんというかの出方も多めの感じがし、胃のむかつきはかなり激しい状態だった。

 随分状態が落ち着いた今日になってもまだ口の中は常に嫌な味が支配している。


 頬粘膜部分の切り傷みたいな部分は相変わらずの痛みがあり、その部分に保護用のジェルを塗る時にもすでに”イデデッ”てなるしねぇ。

 ついでに言えば、その保護ジェルなのか、ジェルと滲出液との混合物なのかわかんないが、新たにジェルを塗っていると綿棒になんだか汚いどろっとしたかすかに緑っぽい灰色のカスみたいなものがくっついてきたりして、これもまたなんだか自分の口の中にこんなものがこびりついているのかと思うとすこしうんざりした気分になる。このうんざりした感じがかなりヘビィだ。


 ここからは、うまく説明できない部類の話になる。

 人の身体は汚くて気持ち悪い。

 いや、もしかしたら新鮮な状態であれば内臓も筋肉もすべてぬめっとした水分を含んだ表面の美しいものなのかもしれない。

 しかし、僕の中では人の身体は粘り気のあるぐちゃっとした質感の寄せ集めだ。それらがDNAの配列にもどづいて整然と規則正しく組み合わさっているから見るに堪える有機的な物体として成り立っている。なんとか我慢の限界でなりたった物質だ。

 残念ながら僕の身体は金属でも無ければガラスでもない。せめてものプラスティックでもない。ぬるりとした気持ち悪い物体の寄せ集めだ。正常に機能しているそれであってぎりぎり我慢の限界なのだから、それが一部機能不全に陥って、本来正しく配列されていてしかるべき細胞群がまともに機能しなくなると通常よりもさらにぐちゃっとした組み合わせが規則正しくなくなって、本来ではあり得ないような腐敗や壊死が発現する。その腐敗や壊死によって破損された細胞の塊を目のあたりにすると、なんとも言えない気持ちの悪さを感じてしまう。


 ある種の潔癖症の人達が手洗いを頻繁院行ったりするような変質的な感覚はないのだが、それでも自分の身体の中が腐っている感覚というのが少し精神的に受け入れがたいのである。

 普段はそんなことはすっかり忘れて過ごせているのだが、こうして時々ダメージを受けている時にはそんな良くない感覚にとらわれてしまいがちだ。自分でもびっくりだ。そんな繊細な部分があったのかしらんと。


 自分から腐った臭いがしているような気がするという”呪い”は少しやっかいな呪いだ。なんせ、自分で大丈夫と思えなければ呪いがとけることがないから。

 めんどうな呪いにかかってしまったものだ。




 先日、沖縄紅芋のコロッケってのを購入した。

 そのまま食べるにはちょっと辛いので卵とじにして食べようかと割って見たら・・・・・・すんげぇ紫色。まじかっ!

 こんなん食べたらいかん色じゃないだろうか? すごいねぇ。世の中には知らない事が一杯だ。


沖縄紅芋コロッケ

 卵とじの写真はあんまりおいしそうに見えないw

紅芋コロッケの卵とじ


 で、この紫色のイモを見て思い出した。


 子どもの頃、こういう紫色の野菜が流行った時期があった。まさに流行という奴だと思う。今では普通にスーパーに並んでいたりする紫たまねぎだとか紫キャベツ。

 僕が子どもの頃はそらがはじめて市場に並んだ頃だったんだと思う。紫の野菜や彩りが綺麗で食卓が華やぐ。栄養が満点で身体にいい。みたいな。

 で、普段キャベツの千切りなんか出たってそっぽを向いてるくせに紫キャベツの千切りだとなんだかわかんないが普段の10倍の勢いで食べてみたりした時期がある。まぁ、味は普通のキャベツなのでもともとそっぽを向いていたぐらいだ、やはり見向きもされなくなるのは当然の帰結という奴だろう。


 さて、紫芋のコロッケの卵とじは無事僕の胃袋に収まった。量がべられなくもなっているのでコロッケ1個分も食べられないってのが実情ではある。他のモノも食べるとなるとコロッケ半分も食べれば上出来だろう。

 しかし、この紫芋ってのは凄い糖度だね。それこそモンブランを食べているのと換わらないくらいの甘さ、いや、今時の甘さ控えめのクリームに比べてれば甘さ全開である。遠慮の無い甘さが脳天を突き抜ける勢いだ。食べ物を口に入れて、甘さに驚くというのはよほどである。赤福も激烈に甘いと思うがそれに匹敵する甘さだった。逆にその甘さのおかげでデザートのような気分で食べられたというのもある。


 おいしかった。




 今日もいい1日であった。

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