【✒️0003】日本留学から4ヶ月。○○にされて覚醒した話(1/2)
こんにちは。
先日投稿した、留学を日本に決めたきっかけの記事はお陰さまで沢山の方に読んでいただき「壮絶!」「次も読みたくなる」「お母さんの話も気になるので今度是非!」など嬉しいお言葉をいただきました。
背中をおされた気がしたので今回も留学してきて起きたただならぬエピソードを紹介してみたいと思います。
これから留学を考えている方や、なにかにチャレンジしてみたいけどいまいち勇気がでない方に、この壮絶なストーリーを読んでいただき少しでも勇気付けられたら幸いです。
ワタクシごとではありますがお時間ありましたら是非読んでいってください。
本日は、留学に来て4ヶ月で…
「泥棒」
にされて覚醒した話。です。
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念願の留学生活の始まり。
高校卒業してすぐに東京に留学してきた私は、当時東京に住んでいた従姉の家に少しの間お世話になることになりました。知らない地で身内がいるということはとても心強いものです。
従姉はもう10年も日本に住んでいて、エステサロンを営む立派な経営者。年も10歳も離れていたので、これからの日本生活や社会生活での礼儀まで色々とアドバイスをしてくれました。
ただ、お仕事が忙しい従姉に長いことお世話になることはできないので早いところ自立をするため早速アルバイトを始めました。
当時の私は日本語が全く喋れなかったので近所の韓国人のいる焼肉屋でバイトをしながら日本語学校に通う日々が始まります。
今までまともにバイトしたこともなかったので、初給料をもらったときはもう嬉しくて。韓国の両親に下着をプレゼントしたら送料もろもろでほぼなくなったけどw(韓国では初給料では両親に下着をプレゼントする風習がありました)
なーんだ。
お金稼ぐのって簡単なんだな!
今思うと恐ろしいことを考えたものです。こんなことを思うほどウハウハでご機嫌でした。
なんといいますか。親元を離れて一人で色々やってみたら楽しくて、なんでもやっていける気がしました。この頃からモチベーションMAXで、前向きに頑張っていける気がしたのでした。
よーし!頑張るぞー!
なんでもやったる!出きる気がする!
従姉の家には少しではありますが家賃も入れていたし生活費も何かとかかるので焼肉屋バイトだけでは生活が苦しく、留学2ヶ月ちょっとでもうひとつバイトを見つけることにしました。
溜池山王にある高層ビルのカフェ。カフェといっても、ビルの中にある会社の会議室にコーヒーを出すことが主なビル所属カフェならではの変わったカフェでした。
カフェてのバイトは憧れもあって、しかもそこの店長が「在日韓国人の女性」というのもあり、日本語が下手な私でもいざとなったら韓国語で通じるという安心感もあったので二つ目のバイトをそこに決めたのでした。
カフェのスタッフは在日韓国人の店長ともう一人無口な若い女性。二人は仕事歴も長いようで仲が良く、よく雑談をしていましたが(日本語で)私は意味が聞き取れずせっせとお仕事を覚えて働くことに集中する日々。
輪の中に入れてない気がして少し寂しいときもありましたが分からないことがあったら店長に韓国語で聞くと韓国語で教えてくれました。
言葉が通じるっていいな…
今思うとそういった環境もあって、日本語は日本語学校の時だけで必死さは足りなかったのかもしれません。
カフェバイトをして1ヶ月ちょっと。だいぶ仕事に慣れてきた頃でした。
その日もコーヒーを会議室に運ぶため準備をしていたら
店長ともう一人の無口な女性スタッフが仕事もせずにひそひそと話を交わしていて。
そのリアクションはわざわざ私に気づいてほしいかのように段々大袈裟になっていたのでした。
なんのことかまったく想像もつかないので「なんだか気分悪いな。それより仕事してほしいな~」と思いながらも無視してコーヒーをいれていたら店長がすたすたあるいてきて私に一言。
「あのさ、レジが合わないんだけど」
???
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あ、もうこんなにつらつら書いてしまっていたのですね。昔のこと思い出したら今でもあまりに鮮明に描写できるもので、長くなってしまっています。
出し惜しみしてすみませんが、続きは次回にまた紹介しますね。
まとめ
まだまとめられるものも特にないのですが…
留学きてモチベーションMAXの時直面した分厚い壁。想定外の出来事。この事件によりどのような心境が起こってどのように逆境を乗り越えてプラスに変えていくのか。引き続き次回紹介できればと思います。
ご自身の辛い経験と重ねて共感していただいたり、応援していただいたり、今後自分に同じようなことにならないように参考にしていただいてもうれしいてす。
それではまたすぐにやってきます。
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