『お母さん、タスケテ』
夕方5時半過ぎに長男からのLINE電話に出てみると、長男が少々申し訳なさそうに短い言葉で問いかけるように話し始めます。
先に言っておきます。
ご心配には及びません。
オレオレ詐欺的なものではなく間違いなく長男からのものですし、命に関わるような事態でもありませんでした。
長男『鍵、閉じ込めた』
センサーロック導入の昨今、どうやったら車の中に鍵を閉じ込めることができるのかしら?と思ったけれども、事件が起きる時っていうのは、何か一つの条件が合致してもその現象は起きないっていう色々な事象を全て見事にすり抜けちゃう時で、このご時世でもインキーって起こっちゃうんですねぇ。
聞けば、息子の車は自宅から自家用車と電車を使って1時間半は悠にかかる阪神間の主要駅近くの駐車場で、誰も乗っていないのにガンガンに冷房が効いた状態で、主を乗せることができず鎮座中らしく。上限金額のある駐車場でよかったね💦
夕方6時ごろというと、なっちはヘルパーさんのお世話になりながら夕飯やお風呂など自立生活をしていて、私は家族のために夕飯作りをしているという時間帯。
その母に『スペアキーを持って来て欲しい』と彼は言います。
ロードサービスなど有償の社会サービスの利用も考えたらしいですが、検索の結果インキーだけで大枚を払わなければならないと知り、母にスペアキーを持ってきてもらったほうがいいと判断したらしいのです。
その結果、夕方家を出て最寄駅(そこまででも車で25分)から電車に乗り、乗換一回で目的の駅まで行き、駅の改札で息子と合流することになりました。
ここ数ヶ月、【田舎在住の巣篭もり主婦】であるところの私にとって、この時間帯に電車に乗って遠出するということもついぞなかったため、夕暮れ時の車窓からの眺めや都会のビル群の灯りなど目に眩しいばかりで。
急いでいたこともあって、普段着の上にカーディガンを羽織っただけでメイクもそこそこに出かけちゃったのですが、【あぁ、こういう時はどういう出で立ちでどうメイクして、どんな鞄を持って】って準備したもんだなぁ、なんてつい半年前まで普通にやっていたはずのことを回顧してみたりして。
たった半年の時の流れは、私たちの生活や街の様子を激変させていました。
コロナのせいではないかもしれませんが、あったはずのお店が見当たらなくなっていたり、道路工事や再開発のビルの建て替えが終わって街の風景が変わっていたり。
行き交う人々は皆マスク姿で、車内でもできるだけ隣り合わせに座らないようなディスタンスがなんとなく取られ、お店でも駅でも挨拶程度にしか皆言葉を交わさない。
当たり前だったものがなくなっているその様子に寂しさを感じる一方で、当たり前だったものの有り難みを改めて感じ。
約1時間程度の電車旅で懐かしさと新しい生活への変化の両方を感じてしばし想いにふけってしまいました。
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無事に長男と落ち合い、インキーを解消し、長男におねだりして改札の中にある551の蓬莱で豚まんと焼売を買ってもらい、私のICOCAの中に今日の交通費をチャージしてくれるというので渡しましたら、
長男『3000円入れたよ』
私『なんで!?1000円くらいしかかかってないじゃん』
長男『手間賃』
あら。息子、大人になってる。そんなこと言えちゃうなんて。あら、素敵😅
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なっちの3つ半年上の兄としていろんな思いをしてきたであろう長男くん。
彼がしたいということは出来る限り叶えてきたつもり。
でも、実際多くの手がかかる障害児の方に現実的に親の手が4本とも取られる兄弟児は、【自分も妹と同様に大切な存在である】と心から実感するのはとても難しい傾向にあります。一生懸命そう伝えてきたつもりだったけれど、そう思ってくれるように育てるのって本当に難しいのです。
彼も、中学高校生の頃、親はなっちの方が大事なんじゃないかと思っていた時期があったと言います。
その彼が、25歳のいい大人になった今、
『お母さん、タスケテ』
と言えること。なっちを他人の手に託して、母には自分の元に来て欲しいとちゃんと言ってくれたこと。自分も大切な存在だとちゃんと心から知ってくれていること。
母は、キミがキミ自身をそう思ってくれていることも、キミにとって母が今、そういう存在であることもとても嬉しいよ。キミの心遣い、母への思い、ありがたく頂戴したよ。
その帰り。彼運転の車の助手席で食べた豚まん、とっても温かくて優しい味がしました。
何一つ当たり前ではない世の中で、社会背景や常識と言われることがどんなに大きく変化したとしても、【キミが大切だよ】と伝え続けることの大切さだけは変わらないのだなぁ、と思った夕暮れです。