タイヤ二十代史〜前半〜

11月27日TBSである特番が放送された。ロンブー淳さん、千原ジュニアさん、有吉弘之さんの3人が10年間を密着取材するという内容だ。3人が歩んできた道。価値観の変化など見てて大変興味深いものだった。タイヤが二十歳になった年は何を隠そうm-1が復活した年である。中学の頃から見てた番組が復活するというのはワクワクした。その番組がもはやここまで大きくなったのは言うまでもない。今年も残り少なく来年で僕は30になってしまう。その前に僕の二十代の人生を振り返ろうと思う。

2015年 20歳

20歳なのに年上に見えるとイジられた

まだまともに授業行ってた。前期の6月までは。朝7時に起きるのがめっちゃしんどくて7時以降に起きた時はもうなんか諦めてた。大学に入学してからは演劇サークルに入っておりその頃から演劇にのめり込んでいた。しかし、公演オーディションの日は遅刻するわで部内からは評判落ちるようなことをしてた。てかそもそもダメ出し中に寝てる時点で部内評価は下の方だったような気もする。今考えると俺は面倒くさくて変な奴だった(変なやつは今もだけど)。なんの指示もないのに動いて段取りが少しぐちゃぐちゃになったり舞台の土台を持って行く時に無理して1人で持って行こうとしたりして結局失敗して、二度手間になったりしてとにかく迷惑かけてしまった。部員のためを思ってやった行動が駄目な方向に進んでしまったりした。当然公演のオーディションは落ちに落ちまくった。でも、大学合同公演は参加してた。大学合同は一年生で止めようかと考えたが今年は同じ学年の人が書いた創作の脚本で公演をするということを聞き興味が湧いてしまい。今年も参加した。なんか自分が知らない間に共演者が急に稽古に来なかったりと色々あったみたいだが俺は何も知らずのほほんと参加してた。脚本演出した子から打ち上げで君はオールマイティでなんでもできると褒められた時は正直嬉しかった。この年にr-1の決勝を生でノンストップで見たその時に見たマツモトクラブさんに衝撃を受けた。誰も知らないおじさんピン芸人がこんなにウケててしかもオチのお洒落さに感動した。この頃から僕はお笑い賞レースにハマった。後この歳になって人生初の映画館で映画を観た


r-1 じゅんいちダビッドソン 
koc コロコロチキチキペッパーズ
m-1トレンディエンジェル

2016年 21歳

まだこのトレーナー持ってる

大学3年生単位が合計で30も取れてないのにも関わらず進学できた。親からは留年は出来ないから留年したらやめろと言われた。今考えたら極端過ぎるだろとは思った。休学してある程度お金を貯めてまた学校に行くとか留学するとか色々と選択肢があったはずだった。でも、当時の僕は切羽詰まってたとにかく学校へ行って授業に参加しよう。そう思ってた。だが、2年後期の授業のサボりがここにきてツケが回った。授業について来れなくなったのだ。授業に参加しても先生の言ってることが何一つ分からず、結果寝てしまい欠席扱いされたりした。それに授業、バイト、サークルと3つの活動を同時にやるということができなかった。頭がこんがらがり、カウンセリング室に行ったりもした。それでも演劇サークルに行く時は嫌なことを忘れて楽しんだりした。6月に入った時にはもう前期の授業はほぼほぼ出なくなった。演劇サークルも結局オーディションに受かることはなかった。引退公演も役者としてオーディションで受けたが結局駄目でした。
大学に居るのも今年最後だし、どうせだったら演劇をやりにやりまくろうと思い、夏は二つの公演を掛け持ちした。1つは南無サンダーという劇団、もう一つはご存知大学合同公演。南無サンダーという劇団は施設の劇場を使わずその劇団が建てたテントで公演をするというストロングスタイル。場所もストロングだが、公演回数が時間の公演をノンストップで7回やるというこちらもストロングスタイルだった。これを聞いた時は不安でしょうがなかったが、やって行くにつれてアドレナリンがどんどん出て最後はハイになって公演が終わった。公演が終わった4〜5日くらいは声がガラガラの状態で稽古をした演出さんには申し訳ないことをした。大学合同公演は九州戯曲賞を取った作品が公演するということで後輩がここに参加するということだったがちょっと不安であり自分も参加した。役柄は大柄の騎士でありどっしりと構えた演技が必要なキャラだった。やってて楽しかったし今までやった中で一番満足感のあった公演だと思った(去年も勿論楽しかったですよ)そこで共演した他大学の後輩の子とkocを見たのがとても良かった。この年で大学の演劇サークルは引退した。この年の二作品が自分の後の人生に大いに影響するとは誰が想像出来たか…
あとこの年で初めてr-11回戦の予選に出た。賞レース生まれて初めての参加何回も舞台に出てるから大丈夫だろうと鷹を括ったが、まあド緊張した。笑い0で当然落ちた。どんなネタをしたかというと笑いどころのないかが屋さんのネタをやった。ネタというよりただ演技をして終わった。
r-1 ハリウッドザコシショウ
koc ライス
m-1 銀シャリ
米のつく芸人が優勝してるな

2017年 22歳

心機一転して坊主にした

以前書いた奨学金の記事にほぼほぼ書いてある通り。福岡県学生演劇祭優秀賞、南無サンダー、九大の落研鑑賞など人生の指標がここで決まった。この年が人生のターニングポイントなのだろう。

この年の3月くらいに南無サンダーが新作公演やるからお前も出ろと言われ、その月は大学からやってたドンキのバイトの有給消化中だったので参加した。というか、大学辞めるから最後のつもりで役者として参加しようとしたらまさか11月の熊本公演までやらされるとは思いもしなかった。r-1は来年も出ようとしたが、ネタが出来ておらず尚且つ去年のトラウマがあり、当日ブッチして不参加。そのことに関しては結構後悔している。
r-1 アキラ100%
koc かまいたち
m-1 とろサーモン
この年からお笑いに興味を持ち始める。kocで見たにゃんこスターに衝撃を受けた。

2018年 23歳

東京行った時に見に行った千川のトークライブ。近くにkoc決勝に行ったロビンフットさんと会話した。とても感動した。


この年に太田プロ福岡の養成所に入った。地元でお笑いを学べる場所がここしかなかったが、出願した翌日くらいに福岡NSCが出来たとニュースサイトで見た。出来ればなるべく早めに言って欲しかった。人数も少なくさらに1〜3期生の芸人も授業に参加できると言われて一緒に参加した。やっていくにつれて今後の授業のカリキュラム通りに行ってないぞと疑問を抱いた。同じ年に始まった福岡NSCではネタ見せ以外にワークショップなどを開いていた。同じ値段払っているのになぜこんなにも待遇が違うんだと同期の子らとそのことについて不満を言い合った。
 その年で初めてm-1に出た。相方は福岡の養成所に出会った人と数合わせで組んだ。選り好みしてる場合じゃないくらい人数が少なかったのだ。福岡の地方予選なので博多駅をふんだんに使ったネタをした。勿論ウケた。このネタで二回戦に行った。二回戦は案の定落ちたが、そこで見た東京のライブがとても楽しかった。福岡から帰ってきてライブなどに出たが、それでも東京で見たライブが忘れられず来年東京に行こうと決意した。この年から自動車教習所に通い出した。前の年に演劇を引退と書いてあったが4年生の卒業の月に卒業公演というものがあり、そこで役者をすることが出来た。要約許されたんだなと思った。5月に学生演劇祭で交流し、そこで役者で出た公演があったがあんま覚えてない。後兄貴の結婚式があった。名簿の俺の名前間違えてたのが結構殺意湧いた

r-1 濱田祐太郎
koc ハナコ
m-1 霜降り明星
この年で世代交代起こるなと思った

2019年 24歳

バイトのオンライン面接で送った証明写真。剃り残しがあり非常に爪が甘すぎる。

令和発表から2週間後に上京。初めての上京にワクワクして最初は浅草とか下北沢とか色々回ったお笑いライブもたくさん見まくった新宿、中野、千川色んなライブを見まくった。が5月くらいになったら家でマジカル頭脳パワーをずっと見てた。結局家でいるのが好きなんだなと思った。テレビがなかったので水ダウがあった日はネットカフェに行きそこでテレビを見た。フリーライブに出ようとしたがネタが思いつかず片手で数えるくらいでしか出なかった。東京に上京した高校の部活の同期とフリーライブに出たこともあったがあの一回以降会うこともなかった。2024年現在まだ連絡が取れてない。何してるんだろう…
実はその年にテレビに出たことがある。水ダウのお笑い知識王だ。お笑いのことに関するクイズがウルトラクイズ形式で出題する。興味本意で行った。第一ステージはウルトラクイズで有名な○×クイズだった。○×クイズに通れば良いかな〜という感じだった。分からない問題は勘で◯に行ったりもした。なんか正解が続きに続いて第二ステージに行った。第二ステージはペーパーテストだった。成績上位30人まで絞られる。自分のお笑い知識フル活用して問題に挑んだ。ただまあ落ちるだろうな〜という感覚だった。

11位でそこそこ良い成績なのは驚いた

通った。呼ばれた時はうぇっ!?という情けない声を出した。結果第三ステージで落ちてしまったが、憧れの番組にちょっとだけ出れたのはとてつもなく嬉しかった。それ以降は言うまでもない。上京初年度は戸惑うこともあり、ライブもあまり出なかったが、来年からはもっと増やそうと決意した。来年、あんなことになろうとは…
r-1 霜降り明星 粗品
koc どぶろっく
m-1 ミルクボーイ
ここからがm-1の分岐点だと思う

後半へつづく

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