見出し画像

母の遊び場だった虎ノ門・金刀比羅宮へ

今朝の母はよく食べる

今朝の母はホームで時々出される"お粥"を楽しんでいる。
おかずに添えられた半熟卵をすすりながら、「30人分なら30人分の卵を一気にて、お椀に一つづ入れたのかしら。
よく出来てるわ。味付けなしでプレーン。
若い人には物足りない…あっ、ここ若い人いないんだわ(笑)」

母はお粥と梅干しがあれば幸せな人だから、箸がどんどん進み、見ていて微笑ましい。

母は1930年、昭和5年生まれ

母は1930年に愛宕山のふもとにあった家で、四人姉妹の次女として生まれた。
その後、家族は港区芝琴平町十八番地(現在の虎ノ門一丁目)に引っ越す。
母が小学校に上がる前くらい、おじいちゃん(母のお父さん)は林歯科医院を開業した。写真を見て、”Dr C HAYASHI” と英語表記が扉にあることに母も私も驚いた。母曰く、「おじいちゃんは英語が好きだったから、ローマ字も入れたのね。忠一の"C" だけど、ピリオドがないわね」と笑ってた。
当時にしてはハイカラなのでは!!

おじいちゃんの得意だ分野は入れ歯だった。患者さん達からは「よく噛める」「モノを噛むのが楽になった」と評判だったらしいが、母は「あのゴッツイ手でね、女性の口は小さいのに、よく小さな小さな入れ歯を上手に作っていたわ」と話す。

おばあちゃんのアルバムより
昭和31年の林歯科医院前での写真


母の遊び場だった金刀比羅宮


母の住まいの近くには金毘羅宮があった。歩いて10分くらいと記憶。「そこには裏庭があって、子供の遊び場になっていたのよ」と母。

「"金刀比羅宮さんの公園に行く〜"って言うと、誰も止めることはなかった。一つだけ信号があって、きっちり待てば危険もなく、安心な場所だったのよ。」

「毎月10日に金毘羅さんのお祭りがあって、縁日があったの。夜には植木市があって、苗木もいっぱい出てね。お父さん達が仕事終わりでよく見に来てた。」

「社務所がビルの中にあるの?!」
従姉妹に訪ねる母。


金刀比羅宮を何十年ぶりだろう、母再訪


最近、その金毘羅宮に従姉妹と母と私の3人で訪れてみた。
たくさんのビル群に囲まれ、鳥居と共にひっそりと金刀比羅宮があった。昔は砂利道だった場所がコンクリートで綺麗に舗装されている。

「あらまあ、これが!!
ご立派になって。社務所がビルの中にあるじゃない。
会社の集まりみたいな場所になっちゃったわあ。」

驚きと共に、そこにはかつて聞こえた子供達の声はなく、「当たり前か」とちょっと寂しそうに母が笑った。

次はどこを訪ねようか。
母の好きが美術館巡りかなあ。



いいなと思ったら応援しよう!