連続小説 カフェー・宝来屋(福が来た)第三話
第三話「宝来屋の人々」
ここには、大きい風呂がある。六人位入れるような檜の風呂桶だ。その風呂を焚いてくれるのが下働きの又いっさん。名前は又一なんだけど親しみを込めて皆、又いっさんと呼ぶ。以前又さんって人がいたので又いっさんになったそうだ。「加減はどやろ」薪を割りながら聞いてくる。「丁度良いです」と返す。
又一はあまり話をしない。むろん必要な会話はするが、それ以外の事は話さない。頼まれた事は無理な事でも断らず取りあえずやってくれる。「ワシに出来るのはここまでですわ」と、こちらの期待通り、時にはそれ以上の成果を出してくれる。だから上手くいかなかった時も誰も又一を責める者はいなかった。
都心より離れている宝来屋だが、いわゆる先生と呼ばれる文士や代議士が多く訪れる。その理由は離れている分、隠れ家みたいな雰囲気があり落ち着くそうだ。そして、もう一つは料理だ。秀さんという腕利きのコックがここ宝来屋にはいるのだ。秀さんは外国のホテルで腕を磨き戻ってきて自分の店を開いた。
洋行帰りのその素晴らしい料理に店は繁盛したが直ぐに潰れた。理由は経済観念の欠落である。採算を度外視して良い食材を仕入れていては利益が出なくて当然だ。そんな金勘定が出来ない人だった。借金で途方に暮れていたのを口入れ屋の六さんが連れてきて女将が引き受けた。財布の紐は女将が握っている。
女給頭のサンは客を取らないメイド。酒の相手はするがベッドには行かない。最初は皆と同じ様に客を取っていたのだがなんとも客付きが悪い。器量もそこそこなのだが気っ風が良くて男勝りな所が敬遠されたか。女将はサンを又一と夫婦にさせ女給頭にして皆を支えてくれと言った。サンは喜んで引き受けた。
ガシャーン!パシッ、パシッ。店内に響き渡る食器の割れる音。BOX席の客が酔って暴れている。メイドを殴り、見かねて助けに入った客まで殴る。徐にサンがツカツカッとそいつの前に行った。そいつはサンを殴ろうとしたが、それより速くサンの足がそいつの股間に命中した。そいつは転がり皆は拍手喝采。
宝来屋の者ではないが縁の深いこの人の事も記しておく。口入れ屋の六さんである。福もこの人の口利きでやって来た。というか、ここで働く殆どの者がこの人のつてでやって来ているのだ。話は遡って今の女将ではなくその前の女将がまだ遊女だった時の話だ。その当時、六さんはまだ口入れ屋の番頭だった。
宝来屋も女郎屋で、この店の一番年配の遊女セツに若い六さんは足しげく通っていた。「六ちゃん、この店駄目らしいよ。今月いっぱいで畳んじまうって、あたしらどうしたら良いんだろうね」それを聞いた六さんは「姉さん、あんたがこの店をやったら良いんだよ。俺が話をつけて来てやるからさ」と言った。
それから二三日ほど経って六さんはセツの所にやって来た。「これが店の権利書やら姉さんに譲る物品の譲渡書だ。来月から、いや今からこの店は姉さんのものだよ」。そう言ってセツは六さんに手を引かれて帳場に座り、遊女から女将になった。潰れたら借金だがセツに譲ればチャラになると説得したようだ。
それから六さんはセツに帳簿の付け方を教え、仕入れ先の紹介や働き手の手配などをして店を立て直した。そして一階で食事が出来き、二階で遊べる形に店を変えて料理旅館と名付け飲食だけの客も入れる様にして収益を上げられる様にした。遊女たちは酌婦として客に付き自分で稼ぐ形にして儲けさせるのだ。
ある日、六さんは一人の娘を連れてきた。年は十三、まだ子供だが世間の柵はそんな事を哀れんでもくれない。セツはその娘の水揚げを代議士に頼み盛大に執り行った。幼い顔立ちが助平ジジィに受けたのか直ぐに店の看板になった。店の女達からはそれなりの仕打ちもあったが平然とやり過ごして笑っていた。
その娘、名をコウと言った。コウは店の手伝いもよくした。炊事、洗濯、掃除は厠までするのを女将が止めた。体に臭いが付くと客が離れると言ったがコウは大工さんに肥溜めの蓋を作ってもらい臭いが出ないようにして掃除を続けた。コウが花を一輪挿して置いたのが客に受けたので女将が挿す様になった。
昼前に巡査がやって来てコウの部屋を家捜しするという。夕べのコウの客が朝になって懐中時計が失くなっていると訴えたそうだ。女将が立ち合って巡査が部屋の中を探したが時計なんぞ出てきやしない。荒らされた部屋を片づけながらコウは涙を拭いていた。後から時計は家にあったと警察から電話があった。
夜、その客が来て知らん顔してコウを抱く。帰り際にコウが「貴重品をお確かめ下さい」と言うと。途端に怒りだして「キサマ、昨夜の当て付けか。売女の分際で意見する気か!」と怒鳴った。コウは「とんでも御座いません。でも、わざわざ警察に行くのもご面倒でしょうから今此処でお確かめを」と言った。
それを聞いたその客はコウの顔を殴り倒れたところを踏みつけた。「ワシは政府の役人じゃ。お前の様な外道が指図するなぞ言語道断、二度とそんな口叩けなくしてやる」とコウの胸ぐらを掴んで殴ろうとした。バンとドアが開き女将のセツが入ってきて「うちの娘に手を出す奴は客じゃあないよ」と怒鳴った。
「政府の役人か何だか知らないけど人に殴る蹴るの乱暴を働いといて何て言いぐさだ。おい、警察に電話しな、それと新聞社にもだ」女将の剣幕にその客はたじろいだ。足下のコウを見れば顔を腫らして唇から血を流し腹を抱えて唸っている。警察は押さえられても新聞社は不味い。「すまん、ワシが悪かった」
その客は悪かったと言って財布の中の有り金、全部置いて帰った。セツが塩を撒いていた。「あんなのが政府の役人じゃこの国も先が思いやられるねぇ」セツはそう言ってからコウの様子をみた。「大丈夫かい」セツに尋ねられてコウは「こんなの平気です。殴られるのは父ちゃんで馴れてますから」と言った。
それから七年の歳月が流れた。コウは二十になり此処で一番の古株になっていた。岡場所とは違い宝来屋は借金さえ返せば終いだ。だが、客のツケ等を回収出来なかったり騙し取られたりして返済は困難を極めた。コウは地道に稼いで貢ぎもせずに間も無く返済も終わろうとしていた。セツはコウに聞いてみた。
「じきに借金も終わるねぇ。行く宛はあるのかい」そう聞かれてコウは「行く宛なんぞ有るもんですか。どちらかの旦那にでも身請けしてもらって店でも持たしてもらえたらと思っているんですがね」と答えた。「そうかい。……じゃあ、こっちにおいで」とセツはコウを帳場につれて行き帳面を開いて見せた。
コウが帳面のつけ方を覚えたとたんセツは寝込んでしまった。仕方なく帳場であれこれしている間にセツは亡くなってしまった。六さんがセツからの遺言でこの店の一切をコウに譲ると言ったそうだ。コウはそんなの無理だよ出来ないよ。と断ったが後に残った女たちの事を考えるとそうもいかず女将になった。
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