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cakes連載、最後のウラ話

12月でcakes連載を終えた。

終えた理由はいくつかあるが、一番大きい理由は

「cakesの居心地が良くなってしまったから」

だ。かれこれ3年前から始めた私の連載「それでも僕は、外科医をやめない」。実は、連載を始めた時は8回くらいで打ち切りの予定だった。

それはそうだ。なんの実績もないただの医者だったので、連載が読まれるかどうかわからなかった。編集者さんもまさか3年続くとは思っていなかっただろう。

連載を大きく変えた記事があった。それは、「結婚できない私の話」という記事だ。

この記事を書くにあたり、実はこの1本前の記事で書き溜めた記事は枯渇してしまっていた。連載前に何本かを書き溜めておいたのだ。

書き溜めが終わったのが金曜日。しかし編集者さんからは「ではまた来週」としかメールが来ない。どうやら連載打ち切りにはならないようだ。メールでその辺を尋ねたかったが、聞くと打ち切りになってしまいそうで聞けなかった。土日はそんな風に悶々と過ごした。

月曜日が終わり、火曜日が終わった。大きな手術が立て続けにあり、私は身も心もヘトヘトだった。水曜日には緊急手術があった。私は手術に夢中になった。病院に泊まり込み、木曜日の朝。

外科医がおおぜい集まる朝のカンファレンスで、私は思い出した。

「cakesって確か毎週金曜日公開だったな」

まずい。連載が終わっていない以上、次回の記事公開は明日だ。

そう思うと、とたんに頭が回りだす。何を書こう・・・。

今ならすぐにネタも見つかり、書ける。しかし当時は駆け出しで、ネタのストックもしていなかった。


悩んだ挙句、書いたのが「結婚できない私の話」だ。木曜日の手術が終わり18時頃から2時間かけて書いた。他に書けることがないから、仕方なく本音を綴った。

急いで編集者さんにメールし、返事が返ってきた。なかなか手ごたえはいい。これまでの記事とはテイストが全く違うけど、面白い。そんな返事だった。

翌日の金曜日、記事がcakesにアップされた。途端にランキング一位に躍り出た。


正直なところ私は戸惑った。


身を切り本音を垂れ流しただけだ。それで読まれたって仕方ないのではないか。下品なだけではないか。

しかし、その本音の中に、一筋の真実が含まれることは確かだ。そうも思った。

それから、私はcakesに書くことが楽しくなった。つらい時、悲しい時、うれしい時、すべてを私は書いた。クビになるだろうけど、身バレしても構わないとさえ思った。

私が記事を公開していた毎週金曜日は、フェルディナント・ヤマグチさんと林さんという二大巨人と同じ日だった。私はかつて、そのお二人の愛読者でもあったのだ。そのお二人をライバル視しつつも、連載やSNS上で少しずつ交流をした。不思議な感じだった。

一方で、書けば書くほど苦しさが増すことにも気づいていた。cakesでは毎回、記事にランキングが出る。勝負ごととなると負けられないのが私の血だ。やるならば、一番でなければ意味がない。そう思った私の書くものの内容はどんどん「書きたいもの」から「読まれるもの」へと変わっていった。

そんなある日、とある同年代の書き手に言われた。

「なぜあんなしょうもないものばかり書くの?せっかくnoteではとても繊細なものを書いているのに」

私は返事が出来なかった。ただ、一位が取りたいから。そんなことはカッコ悪すぎて言えなかった。それでも、この彼女の言葉は胸に刺さった杭のように、いつまでも残っていた。

2017年の初め。私は連載途中で結婚をし、大きな人生の転機を迎えた。それとともに、「一位にならねばならない病」はすうっと消えたような気がした。たくさんの人に読まれなくてもいい。いつも読んでくださる方に、私の気持ちをちゃんと届けたい。

そんな気持ちで連載を続けた。不思議なもので、そうするとだいたい記事は毎回公開後に一位になった。しかしこの頃私は順位をチェックすることをやめていた(この事実は後で読者である友人が教えてくれたものだ)。

まったくもって、cakesは居心地の良い場所になった。私は伸び伸びと書いた。バズなどどうでも良い。タイトルを尖らせなくとも良い。書き手としては失格かもしれないが、私は本当に書きたいことばかりを書いた。書き手として、pv至上主義と書きたいものを書く主義を対極とする円を何周か回った計算になる。


そして私は、連載を辞めようと思った。

冒頭にも書いたように、ここは居心地が良すぎるようになったからだ。このまま書いていけばおそらくクビにはならないだろうし、安定した収入は入るし、何よりも楽しかった。

だから、これを続けてはいけない。この論理は一見、理解しがたいのかもしれない。しかし私にとってはごく自然なことだった。まるで雨の日に雨粒が空から落ちてくるように。

刺激が欲しいだけなのかもしれない。逆境に身を置かねば落ち着かないのかもしれない。理由ははっきりわからないが、とにかくもう続けられなかった。

3年間もお付き合いいただいた編集者さんには、感謝しかない。今思えばずいぶん傲慢な筆者だったと思う。公開2時間前に記事を送るわ、編集者さんの提案をことごとく無視するわ・・・私が編集者だったら、私の担当には絶対なりたくない。

そしてcakesという場所にも、心からの感謝を伝えたい。最大でもたった60年ほどしかない私のもの書き人生で、3年間にわたり連載を載せてくれた。時には炎上から守り、時には読まれるようプッシュしてくれた。私はペンネームの筆者だからと匿名性にもずいぶん気遣ってくれた。文句を言いたいことは一つもない。そう、タクシーも捕まえられぬ渋谷駅から(私にとっては)遠い遠い道玄坂上というオフィスのロケーションを除けば。


拙文をお読みいただいた皆様、そして私が唯一使っているSNSであるtwitterでご感想をいつも下さる皆様、ありがとうございました。

これからは、不定期でこのnoteにまた書いていきたいと思う。

雨降りの日に、おぼろに見える月のようなお話を。

それでは。


雨月 メッツェンバウム次郎

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