雨宿りのような恋
雨宿りのような恋をしたことがある。
僕は当時ハタチになったばかりだった。高校生のころからずっと惚れていた子にフラれ、ぼんやりと日々を過ごしていた。憧れの医学部には入れたけど、それでも僕の心はまるで使い古された雑巾のようにぼろぼろになっていた。僕はすごく医者になりたかったけど、それくらいすごくその子のことが好きだったのだ。
初めて惚れた女性と、添い遂げる。
なんともチープな命題を少なからず本気で追求していた僕は、大学に入りあっさりフラれてしまった自分を持て余していた。誰も知らない土地、誰も知らない場所で新生活をスタートした僕は、仕方なくぼろぼろの雑巾をとても大事に抱えて暮らした。都会の人間とも田舎の人間とも、誰とも分かち合えなかった。だから孤独を抱いて孤独を飲み干し、それでもあふれ出る孤独とともに生きた。
彼女が欲しかった。友達よりも彼女が欲しかった。友達がいたってどうせ気を遣い合いながら同調ばかりする付き合いになる。面白くもない話を興味津々といった顔で聞くはめになる。その点女性なら、付き合ってくれた女性なら気を遣わないで思い切り裸の付き合いをすることができる。しかも自分を好いてくれる女性なら自分に優しいに違いない。そんな風に考えた。あさはかなものだ。
まもなく彼女が出来た。幸い当時の僕はなんだかモテた。理由はなんとなくわかる気がする。誰ともつるまず傷だらけの顔をして、今にも泣きそうな様子で過ごしていた僕は、きっと見ていて放っておけなかっただろう。だからかどうかはわからないが、そんな奇妙な男に近づいてくるのは優しい女性ばかりだった。そんな中で付き合った一人の女性。
保育士さんだった彼女は、何もかもが僕よりも大きい女性だった。体にしたって、身長こそ僕より少し小さかったけどヒールを履くと同じくらいになって、並んで歩くと不思議と僕よりも大柄なように見えた。二の腕なんてたくましくて、彼女はいつも僕に腕枕をしてくれた。彼女は乗る車も大きくて、ステップワゴンか何かに乗っていた。歳上で、世の中のことを全て知っているといった風だった。社会人だからお金も持っていたし、驚いたことに彼女の弟はプロの野球選手だった。さらに酒も強く、焼酎の五合瓶を一人で空けた。
ある雨の夜、僕は彼女に抱かれた。変な表現だけれど、本当にそんな感じの内容だった。一人しか女性を知らずぎこちなく体を開く僕を、まるで羽毛を布団カバーに詰めて行って羽毛布団を作るみたいにして丁寧に愛してくれた気がする。
そんな風にして情けないほど僕は、彼女の彼氏だった。
「好きな人が居たんだ」
僕は高校生のころから好きだった子の話をした。初めての恋だったこと、その子のことがずっと好きだったこと、そしてまだ好きかもしれないこと、ぼろぼろになった雑巾のことなんかをゆっくり話した。もちろんなるべく彼女に失礼にならないように表現に気をつけてはいたけれど、今思い返すとずいぶん残酷なことを言っていたような気もする。僕は変な座布団の上で一生懸命に話し続け、ベッドに座っていた彼女はずっとうんうんと聞いていた。やがて話し終わると彼女は一言こう言った。
「素敵な恋愛をしたのね」
雨はいつも突然降り出して、気づかぬうちにやんでしまう。やまない雨はない、と言うけれど、もしかしたら今回はずっとやまないんじゃないか、なんて思うことがある。世界の終わりまで、やまない雨。
僕は少しずつ新しい世界に慣れて行って、やがて彼女とも会わなくなってしまった。少しずつ友達ができ、少しずつ居場所ができるたびに、彼女は「良かったね」と言って少しずつ僕への連絡を減らしていった。そんなことに僕は気付くはずもなく、ただ新しい出会いやなんかを楽しんでいた。もうぼろぼろの雑巾は捨てて新しいぴかぴかの雑巾を手に入れた頃、彼女はどこかへ行ってしまっていた。家も引き払い、大きな車と一緒にどこかへいなくなってしまったのだ。
そんな、雨宿りのような恋。
雨宿りのような恋は、あたりまえだけど、雨がやむと同時に終わる。音もなく、誰にも気付かれずに。
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