POMPEII
さて今日はポンペイ展についてです。
ポンペイとはそもそも何か?についてですが、ポンペイとはイタリアの南部に位置する古代都市の事を指します。
そんな古代都市ポンペイが何故ここまで注目されているか?についてですがこのポンペイという街のすぐ側にはヴェスビオ火山があります。
そのヴェスビオ火山が噴火して火山灰が街を覆い隠しその街の人々、つまりポンペイの人々は火山灰に埋もれ息絶えました。
ポンペイは比較的に古代都市というだけあって裕福な人々が暮らしており、ワインを日頃から飲んでいた形跡がありワインの神様でもあるバッカスが信仰対象として根強い場所でもありました。
その他にも商店街が存在して中には理髪店や漁業具屋や出店などのファーストフード店などもあったとされています。
皮肉にもこの街の文化的財産や保存状態の良さは火山灰によって埋もれていた事でしょうか。
その当時の姿がそのままの状態で今も尚保存されているのは極めて貴重なものです。
ポンペイといえば[石膏で型どられた人体]のイメージ遠持つ人も多いでしょう。
ある時に考古学者は噴火物の積層の中に空洞を見つける。
それは当時の家具や窓枠といったものから人間の遺体から有機物が分散されることによって起こりそこの空洞に石膏を水で溶いたものを流し込み石膏が乾き次第中を掘り起こすと当時の姿が石膏像として出てくる。
よく学校などの美術室にある人型の胸像などは石膏と言われる素材で出来ている。
元々のオリジナルの像の大概は大理石や銅などで出来ているがその像の複製技術として石膏で型をとる技術がある。
日本では昔から型をとる技術として鋳造(金属を溶かしたもの型に流し込む技術)が主流であった。その鋳造技術から出来たものを鋳物(いもの)と言う。
石膏は鋳造と比較して乾くのにそこまで時間は掛からない。
3年前に大学の陶芸施設で小さな型に石膏を流し込んだ事はあるが夏場と言うこともあってかなり短時間で固まる。確か20〜30分程で固まったような記憶がある。
今回のポンペイ展でまず観客を向かい入れるのは女性犠牲者の石膏像だった。
自分は京セラ(京都市京セラ美術館)での回を見に行き女性犠牲者の石膏像の隣にはワインの神様であるバッカスを描いたフレスコ画が展示させれていた。
『フレスコ画とは(フレッシュ)の語源でもあり(新鮮)という意味で半乾きの漆喰の壁に顔料を溶いた絵具を漆喰が乾ききる前に描ききる事で漆喰が乾く過程で同時に顔料も固着させる技法である。』
有名な壁画だとルネサンス期の画家であるラファエロ・サンティの[アテネの学堂](アテナイともいう。)や同時期の画家のミケランジェロ・ブナオローティの[最後の審判]などだろう。
この二人はルネサンス期の三代巨匠の二人です。
残りの一人は皆さんも[モナ・リザ]ご存じのレオナルド・ダ・ヴィンチです。
ここで自身が過去に模写したフレスコ画を参考程度に載せておきます。
これは先程紹介した[アテネの学堂]の中にいるミケランジェロを同じフレスコ画技法で模写したものです。
大きさは流石に原寸大とは違いかなり小さなものでの模写をしたのでここでは主に完全再現を目的としておらずフレスコ画の技法、当時の絵画組成を知るという観点から描いたものです。
何となくフレスコ画のイメージが伝われば幸いです。
この時代はフレスコ画と卵黄のタンパク質の性質を利用したテンペラ画が主流でした。
テンペラ画は画面の固着力を卵黄で補っているのでフレスコ画とは違い滑らかなグラデーションが作れる一方で湿気が多い場所ではカビが生えて作品が傷む傾向があります。
レオナルドの[最後の晩餐]はその影響が一番の原因でしょう。
余談ですが多分皆さんはレオナルド・ダ・ヴィンチの事を[ダ・ヴィンチ]とミケランジェロ・ブナオローティの事を[ミケランジェロ]と略して言うのではないでしょうか?
もし彼らを略して言いたいのであれば正確にはそれぞれ[レオナルド][ブナオローティ]と言うのが適切でしょう。
というのはダ・ヴィンチのヴィンチは村の名前なんです。レオナルド・ダ・ヴィンチとはヴィンチ生まれのレオナルドという意味です。
同様にミケランジェロというのも地名でありそこで生まれたブナオローティなのでミケランジェロ・ブナオローティという名前で名前の中に自身の地元名が入るのは一般的であり、バロックの明暗主義(キアロスクーロ)での写実絵画で多くの画家に影響を与えた[カラヴァッジョ]もミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョという名前なんです。
なので近年ではレオナル・ド・ダヴィンチもダ・ヴィンチではなく[レオナルド]というのが正式であるというのが最近の学説です。
余談話はここら辺にしときましょう!
話が脱線してしまいましたね。
さてそんなフレスコ画と女性犠牲者の石膏像を見たら次に見えて来たのは当時の水道管でした。
この時代に既に排水溝の設計が都市ではなされていたのに驚きです。
序盤に話した通りポンペイは特別さは街の保存状態にあることだと思います。
なので当時の古代都市としては周りと変わらない普通の都市であったことでしょう。
保存状態の良さから分かる事もあり例えば神殿の柱なんかには当時の人が書いたであろう文章が刻まられたりしてます。内容は人徳に関することから布教、更には当時の生活から出てくるストレスによる愚痴や嫉妬など様々です。
ここで自分はふと思い出しました。
14世紀の発掘調査隊がエジプトの三大ピラミッドのうちの一つであるカフラー王のピラミッドの玄室(王が眠る部屋)を見つけた際に棺の中は空っぽで財宝も何も無い事からの腹いせに玄室の壁に自身の名前を書いた文字が残されています。
今の考古学的観点からは絶対にやってはいけないですが時効とうことにしましょう!
他にもメンカウラー王のピラミッド(三大ピラミッドの一つ)の入り口は表面が縦にエグれています。
入り口を開ける際に昔の発掘調査隊がダイナマイトを使用して入り口を開けた事でその様な姿になってしまいました。多分ですが当時の発掘調査隊は中に眠っている財宝の方にしか注目はなくピラミッド保存的観点はあまり無かったのだと思います。
しかし結果としてエグれだ表面の積層を見るとピラミッドがどの様に造られていったかを知る資料にはなりました。
そんな事を思い出しながら柱を見てみるのも楽しいです。
さて次に見せるのはモザイク画です。
古代ローマ都市ポンペイは小さなブロックのカケラを使ったモザイク画も有名な遺産の一つです。
ブロックの元は岩石などで岩や鉱物の元々の色をそのまま利用して作られました。
これを細かく砕いたものを顔料と言い、その顔料に添加剤を混ぜてメディウムにしたものが皆さんの知っている絵具です。
絵具の元は顔料と呼ばれるこうした鉱物や土、又はガラスなど様々なものを細かく砕いたものにテンペラ画だと卵黄やカゼイン。日本画であれば膠(ニカワ)。油彩画なら油。なら水彩画だと水。ではなく水には固着させる能力はないのでアラビアゴムという樹脂になります。
何故モザイク壁画などが多く作られたのかについてはそれはその作品を見れば直ぐに分かると思います。
先程言った通り細かく砕いた顔料と言われるものを添加剤と合わせて塗布するやり方は絵具や支持体の関係性から剥離したり色褪せたりと劣化して当時の色彩を維持するという事はその当時の技術では中々難しいですがこのモザイク壁画の場合はその岩や鉱物などの元々の色を利用しているのでその様な事がなく比較的に綺麗な当時の状態のままで作品が残っています。
上の写真の[猛犬注意]のモザイク画なんかはその良い例でしょう。
何故猛犬注意というタイトルなのか?ですが当時ポンペイでは強盗や殺人などの事件が頻繁に起こり住民達は夜になると危険と判断して家の中に居ました。自分の家をそういった人から守るべく猛犬の壁画を玄関先などに設置して一種の魔除けなどの役割を果たして居ました。実際にそうした猛犬注意のモザイク画がある邸宅には番犬を飼っていてそのモザイク画に描かれている犬は自身が飼っている犬というのもよくある話です。
なので当時の治安は決して良いとは言えないでしょう。
さてまたニュアンスの違うモザイク画を見てみましょう。
タイトルは[メメント・モリ]です。
このモザイク画は死生観を表現しています。
メメントは記憶する。モリは死という意味合いです。
直訳すると死を忘れるな。や死を思え。などです。
このモザイク画では頭骸骨しか描かれていませんが西洋画では若い人の横に又はその人が手に持ってたりする事で表現されたりします。
それはつまり人は遅かれ早かれいつか死を迎える。という意味です。
これだけを聞くと不安になる人も居るかもしれませんがここで伝えたいのはそうではなくこのメメント・モリが持つ本当の意味は[人はいつか死ぬ。だからこそ今を生きよう。]という意味なんです。
日本ではこのメメント・モリという言葉だけが単独で出てくる事がありますが本来は対になる言葉として[カルペ・ディエム]という言葉がありその意味は(その日をつめ。や今を楽しく生きよう。)というった意味であり[いつ来るか分からない死に怯えるのではなくいつ来るか分からないからこそ今生きているこの時を楽しく生きていこう。]という前向きなメッセージがあり同時にこのメメント・モリは平等としても表現され階級社会の中で奴隷や市民と王族や貴族達全てに平等に訪れるものとして死というのはある意味彼らの救いでもあったのです。
さて次は今回の展示で最大級のモザイク壁画であるアレクサドロス大王のモザイク壁画ですがこれは複製画(レプリカ)で展示されている場所も他の場所と異なってました。
今回のポンペイ展は幾つかの美術館を巡回しながらの展示なので他の美術館でどの様な展示方法かは分かりませんが京セラの場合は展示室と展示室の間の回廊の地面に設置されていました。
レプリカでありますが見応えはあります。
京セラのこの回廊には腰掛けベンチも幾つかありゆっくりとこのモザイク壁画を見る事が出来ます。
実寸大の大きさで再現されたレプリカは細部の表情まで見え取れます。
壁画と言ってますがこの巨大なモザイク画は見え分かる通り地面に設置してますがそれは他に展示できるスペースの壁が存在しないから地面ではなく元々地面に設置させれていたものなんです。
しかも本物の方は立て掛けて設置されているので当時の人と同じ視線で見ることは中々無いと思うので貴重ですね。
さて次は数ある展示品の中でも一際目立ち印象深い作品を見ていきましょう。
まず見た目のインパクトが凄まじいですが自分も友達とこの像を見て少しニヤニヤしてました。
その理由は言わなくても分かると思いますが男性の頭と支柱までは良いのですが支柱に唯一生えている男性器に目がいってしまうからです。
多分これが男性の全裸の像で有ればそこまで違和感なく見れていると思いますがその部分しか無いと変に際立ちますよね、しかも不思議なことにこの説明についつは何も無いのです。
何故男性器だけが露出しているかの説明が全くなく見ている観客も多分そこが一番知りたいのですがそこは謎のままでした。
しかし謎とは言いつつも自分は少しこの像が何故男性器だけが露出しているのかについて知っているかもしれないと思いました。
というのは似たような像は古代エジプトのファラオの像にもあります。
古代エジプトでは男性器は繁栄の象徴として像に彫られる事がありました。
しかしどれも勃起した状態でかなり現実味が無いぐらいまでデカいものになっており象徴的にしているのが特徴です。
古代エジプトではその男性器を触る事で子宝に恵まれるなどといった事で信じられていたそうです。
でもこの解放奴隷の像は勃起してません。
でもその説も少しあるのかもしれないと思いました。
何故その様な説明がされてなかったかについては分かりませんが自分の仮説はその様な感じです。
何故解放奴隷の像に男性器が付いているのか?についてはもしかしたら男性器の方は後付けだったのでとはと思っています。元々男性の頭と支柱だけでしたが後で先程の仮説と繋がります。
解放奴隷とは自身の主人に奴隷から解放してもられた人達の事を言います。
古代ローマでは奴隷がかなり多くアンダーグラウンドな世界の話ではなくごく日常的に奴隷が街の中にいる程に多く居ました。繁栄したローマ都市は奴隷の屍によって形成されたといっても過言ではありません。
主人は自身が亡くなる前に自身の奴隷を解放させる事が少なからずありました。
美術をみる時は[ただ美しい]というだけではなく何故その色、形、素材なのか?を美術史と世界史合わせて見ていく事で当時の社会状況など考古学的視点で推測から見えてくるものがあるので是非美術館へ行かれる際があればそのような観点から見てみると同じ物でもまた違った見方が見えて来るかもしれません。
今日はポンペイについて書いてみました。
かなり短縮してまとめたつもりがこの時点で5400字超えしてるのでこの辺で終わろうと思います。
また次回何か面白いことがあれば記事にしようと思います。
それではまた!