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ありえたかもしれない別世界を生き直すー永岡大輔 球体の家「回転と痕跡」

 2024年10月13日日曜日、国分寺のsecond 2.で永岡大輔の個展「球体の家ー回転と痕跡」を見る。本展は永岡が2017年より続けている「球体の家プロジェクト」の展覧会である。プロジェクトの活動を紹介する展示や関連するイベントはこれまでも各地で行われており、そのうち自分が見たものは東京で開催された個展だけだが、それでも2018年の高円寺書肆サイコロ、2021年の新宿眼科画廊、2023年の銀座FEEL SEENに続き、今回が四回目の鑑賞機会となる。開始から八年目に入り、永岡によると当初の目論見では「もうとっくに出来てるはずだった」そうだが、「やればやるほどやらなくてはならないことが増えていく」とのことで、球体さながらに転がり続けるプロジェクトは想像もしなかったような展開を見せている。現時点ではこの試みがどこで終結するのか、当の作者自身にも予想が付かないのではないだろうか。それでもこの先が読めないまま進んでいく過程こそが本プロジェクトの面白さの眼目でもあるので、これまでの結果と今回の展示を素材にして、自分なりにこの「ユニーク」の極みにあるアートプロジェクトについて考えてみたいと思う。

細部から全体=社会を考える

 球体の家プロジェクトは「もし家の概念が箱型から球型へ変化したら、生活や社会の在り方はどうなるか?」という奇想天外な発想からスタートしている。自分が最初に見た展示である2018年の個展では、球体の家を想像で描いたドローイングを中心に、球型住宅に飾られるべき絵画やそこで読まれる本のマケットなどが展示されていた。会場を訪れた際、永岡は客待ちの時間を利用して、球体の家のある社会を舞台にした小説を執筆しているところだった。つまりこのプロジェクトは、開始当初はかなり空想的で、抽象的なものだったのだ。最初に考えられたのは絵や本といった生活においてはむしろ趣味的領域に属するものであり、球型家屋のある社会についての考察も、まずは小説というかたちで思弁的に構想されるだけだったのである。

 それがその四年後、二回目に見た2021年の個展では、様子が一変していた。会場で最も目立っていたのは球体型家屋の土台部分の実物大模型だったが、その他には乾燥させた野草やプランターなど、SF的発想とも空想的建築とも関係がなさそうな園芸物が展示の大きな比重を占めていたのだ。この変化は作者の関心が球体の家をめぐる生活のより具体的な部分へと移ったことに関連している。この四年間の間に、永岡はプロジェクトの一環として「雑草研究所」という試みを始めている。それは定住が難しい球型家屋での食糧事情を考えたとき、土地に根差した農耕や栽培はできないので、家が転がっていく先々でそこに自生している雑草を食べるしかないという結論に到ったためだ。そこから永岡は雑草の研究へと深入りして行く。

 雑草研究所の設立によって、永岡の関心は雑草が育つ大地や自然環境へと向かうことになる。机上の空論的な初期の空想段階を超え、プロジェクトは球体の家での生活を念頭に置いた、より具体的で、土臭いものへと変貌していく。雑草を乾燥させて茶葉を作り、球体の家で使用するための食器を土器で試作する。「社会を考えると言っても、結局は生活上の具体的なことからひとつひとつ考えていかなければならないと気付いた」と永岡は語る。今回の展示では雨水を集めて飲料水にする実験や、土の香りを醸成したアロマエキス、食用野菜を野生に戻す試み、球型家屋用の外壁となる藁などが展示されている。予備知識を持たない人は、説明を受けない限りどうしてこれらが「球体の家」と関係しているのか理解できないだろう。その意味で言えば、キャッチーで空想的なイメージが先行した初期の段階に比べると、現在の球体の家プロジェクトは「わかりにくい」かもしれない。しかし球型家屋での実際の生活を見越した具体的な研究の段階に入ってからこそがこのプロジェクトの真価であり、もっとも面白い部分なのである。アートプロジェクトとしての真のユニークさも、ここにこそある。

 そもそもアートは、民俗学でいうハレとケの区分で言えば、圧倒的にハレの側に属するものだ。古代の祭祈から現代アートに到るまで、アートの主たる役割はハレのものとしての祝祭性によってケのものである日常を異化することにある。故にアートにおいて日常が素材とされるときは、ハレ的存在であるアートを日常の中に持ち込んで祝祭的空間を作り上げるか、アートの場に日常に属する物を持ち込みハレ的属性を帯びさせるか、そのどちらかのアプローチがとられることになる。どちらにしてもケ(日常)をハレ(アート)の力で非日常化するというベクトルでは共通しており、たとえば地方で開催される芸術祭などは、アートのハレ的属性を地域活性策として活用したものだろう(意地悪な見方をすれば、ハレで埋め尽くされた都会ではハレのものとしてのアートが目立たなくなったので、その存在感を発揮できるケの場としての地方にアートが活路を見出したのだとも言える)。

 これに対して球体の家プロジェクトは、それとは真逆のアプローチをとっている。球体型家屋という非日常的な建築物の祝祭性で日常を異化することを目的としているのではないのだ。むしろ球体の家という非現実的存在の現実化を道筋として、作者は日常の場の細部へと降りていく。日常を成り立たせているものをひとつひとつ検証していくことによって、ケの場であるこの日常こそが、実はセンス・オブ・ワンダーの塊であり、奇跡のような「非日常」の場であると明らかにしていくのだ。

 それはアプローチの仕方としては、ハレ的祝祭性に頼る美術よりも、むしろ非日常的な設定から日常の細部を照らしていくSF小説のような文学の分野での試みに近いのかもしれない。しかし文学と異なるのは、架空の物語や世界を紙面上で構築するのではなく、作者である永岡が自身の身をもってその「非日常世界の日常」を生きようとするところにある。では、作者がその架空の世界を生きてみることによって、明らかになるものはなんだろうか?

ありえたかもしれないもう一つの人類史

 今回の出品物のなかで異色なのは、建築家ル・コルビュジエの処女作「ファレ邸」の粘土で作った模型を、永岡が山の斜面で転がしていく映像作品《球体になる家》である。この作品は本プロジェクトの展示においては、植物の種や焼き物の土器に混じって、久々に「現代アート」らしい出品物である。この作品が持つ意味はなにか?

 「球体の家」はSF的な発想が基になっているが、ではSFの区分で言えば、その世界はいったい「どこ」にあるものなのだろうか? 遠い未来なのか。あるいは地球に似たどこか遠い星なのか。最初期の空想的なフェーズはともかくとして、ある時期より作者である永岡は、それを現在地球上にあるこの世界(箱型家屋の世界)とは違った歴史を辿った「ありえたかもしれない別世界」として意識するようになったのではないだろうか。自分は未見だが2018年の山形ビエンナーレでは「新石器時代に人類が最初に住み始めた家が球型だったら?」という仮定のもとに球体の家の展示がなされている。このあたりから永岡は「球体の家」の世界を「ありえたかもしれないもう一つの人類史」として明確に意識し始めたのではないか。作者によると、今回のル・コルビュジエのファレ邸を転がす動画は、近代建築の祖であり四角い箱型建築の代表作家とも言えるル・コルビュジエの処女作がずんぐりと「丸っぽい」かたちの伝統様式家屋であることに着目して「もしル・コルビュジエが箱型ではなく、球型家屋の方向へ向かっていたら近代以降の建築史はどうなっていたか?」という仮想を表現したのだという。つまりこの映像作品は「ありえたかもしれない別世界」としての本プロジェクトの世界観の在り方を示しているのだ。

 面白いのは2018年には新石器時代の「人類最初の家」として想定されていた球体の家が、六年後の今回の展示では近代以降へと時代が一気に現代に近づいていることである。これはこの六年の間に推移した作者の意識の変化を表しているのではないだろうか。プロジェクトの進行とともに、永岡には球体の家では実際に何が使えて、何が使えないかが、だんだんと明確になっていったのだろう。ここまでの結果を見る限り、使えるものの大半は古くから人類に伝わってきた知恵であり、逆に見当たらないのは近代以降に発達したシステムやテクノロジーである。ル・コルビュジエが球型建築の祖となるように歴史改変する映像作品は、球体の家の世界が近代以降に作られた社会システムを批判的に相対化することを示しているのではないか。

 その一例として、現在の我々の社会と球体の家の世界における「専門家」の在り方の違いが挙げられる。現代社会が高度な分業化によって成り立っているのに対し、球体の家の世界では何から何まで自分でしなければならない。球型住居には水道も引けなければ、電線もない。基本的なライフラインは全て工夫して自前で賄っていくしかないのだ。いま永岡が取り組んでいるのは、まさにそうした問題なのである。プロジェクトの進行とともに雪だるま式に増えていく諸問題に対して永岡は「一人で全部やろうとしちゃ駄目だということがよくわかった」と語っていた。生活の根本レベルからすべてを独力で作り上げるのは土台無理な話である。それでは膨大な時間がかかってしまう。そのため永岡は、なにかわからないことが出てきたら、その都度その道の専門家に頼ることにしたという。彼が活動の拠点としている山形は、そうした「その道の達人」が見付かりやすいので、この活動に適しているという話もしていた。焼き物、発酵、竹細工、塩作り、山菜摘み、樹液採集、藁打ち、紙漉き、アロマセラピー…、永岡のFacebookの投稿を辿ると、このプロジェクトのために彼が実に様々な「師」に教えを受けていることがわかる。そうした学習の過程もまた、本プロジェクトの主眼となるのだ。

 そして球体の家プロジェクトにおけるそれらの専門家たちの役割を見ると、我々の社会における「専門家」の在り方について反省させられる。現代ほど「専門家」が矮小化されている時代もない。極端な分業化が進んだ結果、我々の社会では対価さえ支払えばたいていのことは自分の代わりにやってもらえる「専門家」を雇うことができる。腹が減ったらテイクアウトの宅配業者に食事を運ばせ、部屋の掃除はハウスクリーニングを頼めばよい。どんな些細なことにも「専門家」がいて、お金さえ払えばなんでも代わりにやってくれる。つまり我々の社会では「専門家」とは「代わりにやってくれる人」なのである。その結果として、生きていくための知恵を持つものよりも、他人になんでも代行させられるお金を(どんな手段を使おうと)多く稼ぐものこそがもっとも尊敬を集める。それが現代の我々の社会の価値観である。それに対して永岡が教えを請う専門家たちは、永岡の代わりに何かをやってくれるわけではない。彼らは永岡に自身の活動で蓄えた知恵を授け、彼が球体の家で生活して行けるようその手助けをするのだ。つまり球体の家の世界における専門家は「代わりにやってくれる人」ではなく、生きていくための知恵を分け与えてくれる人たちのことなのである。それは本来の意味における「専門家」の姿に近いだろう。球体の家が近代以降の社会システムを相対化するとき、このようなことにも気付かされる。

 「分業」ということで言えば、もしこのプロジェクトが球体型の家を実現することだけを目的とするものであれば、個人でやるよりも集団態勢で臨むほうがはるかに効率よく捗るだろう。「チーム球体の家」としてアートコレクティブ化して、建築担当、食料担当、衣服担当…など役割を分けて集団内で分業化する。しかしそれでは駄目なのである。やはり「球体の家」は永岡の個人プロジェクトだからこそ意味があるのだ。個人プロジェクトだからこそ、彼は教えを請うために「師」を求めるようにもなる。そのことこそが重要なのである。それにコレクティブ化して役割分担してしまえば、球型建築の実現は早まるかもしれないが、分業化で実現した球体の家は、結局現在我々が暮らすこの世界にしか接続しない。本プロジェクトの主眼は何よりも作者である永岡が自身の身をもって球体の家が存在する「ありえたかもしれないもう一つの世界」を生きてみせることにこそある。そのためにはやはりなんとしても「球体の家」は個人プロジェクトである必要があるのだ。

「ドローイング」であること

 「球体の家」のX(旧Twitter)のアカウントの第一声は以下である。

『球体の家』はドローイングのプロジェクトです。

https://x.com/TheSphereHouse/status/880862043179319296

そして今回の個展のステートメントはこのような文章で始まる。

これまで痕跡をテーマにドローイングを続けてきました。そしてその中でもずっと大きなテーマであるのが我々の生きていることが作る痕跡についてでした。生きた事実が残すものを考えることでたどり着いたのが、この球体型の家についてのプロジェクトです。

つまり球体の家プロジェクトの根底には「ドローイング」がある。しかしそれが意味するものはいったいなんだろうか? 

 作家としての永岡の表現手段は多岐に渡るが、本質としては「ドローイング作家」であると自分は考えている。油絵を手掛けるものが油彩画家になり、水彩画を手掛けるものが水彩画家を名乗るように、ドローイングを手掛けるものが皆ドローイング作家になるかというと、それは違う。ドローイングは絵を描くものならば誰もが手掛けるものだからだ。運動選手が専門競技に臨むためにする基礎運動のようなものである。だからそれを敢えて自身の表現手段として、作家としてのアイデンティティにしようとするものは、当然「ドローイング」に対する自分なりの信念と哲学を持つことになる。

 故に永岡が「球体の家」が「ドローイングのプロジェクト」であると言うとき、その場合の「ドローイング」が美術用語でいうところの「素描」「デッサン」「スケッチ」の意味ではないことは明らかである。意味合いとしてはむしろ動名詞のdrawing(線を引くこと)に近いのだろう。しかし単なる「線を引くこと」ともイコールではない。やはりそこには「ドローイング」という言葉でしか意味することのできない独特のニュアンス(哲学)が含まれているのだと思われる。実際に紙の上に線を引いて描くドローイングから、球体型住居を実現するプロジェクトまでは大きな径庭があるが、その間にある繋がりを見定めることは、このプロジェクトを理解するための一助になるだろう。ここでは思い付くままにいくつか球体の家とドローイングとの相似点を挙げてみる。

 「線を引くこと」という繋がりで考えると、球体の家がまさに「球体」でなければならない理由がわかる。球は転がり、その軌跡が線となる。箱型住宅ではそのようなことは起こらない。その意味で言えば、箱型の家に比べ、球体の家はよりドローイング的であると言える。

 芸術制作においてドローイングはそれ自体が完成品となるものというよりも、下絵や構想、技術の研鑽などのために行われるものである。日常的にドローイングを積み重ね、それを下地にして本番(ハレの場)ではペインティングや彫刻や建築などが作られる。つまりハレのものとしての芸術のなかでは、ドローイングはケ的な存在なのである。球体の家プロジェクトが、ハレの祝祭性によって日常を異化するような方向には向かわず、むしろケの場である日常生活の細部にこそ奇跡性を見出していくのは、ドローイング的な性向だと言えるかもしれない。

 本プロジェクトが球型建築の実現以上に、それを目指して行われる活動の過程自体が作品の本編のようになっていることもドローイング的である。「ドローイング」という言葉は、完成した図面を指すのと同時に、動名詞として「描く」という動作そのものも表す。「球体の家」以前の永岡の代表作は、描いたり消したりを繰り返して絵を動かしていくドローイングアニメーションだった。それらの作品では描かれた絵によるアニメーションとともに、それを描く永岡自身の姿も同時に映像のなかに映し出されている。つまり永岡のドローイングアニメーションにおいては、「描く」という行為そのものもまた作品として提示されていたのだ。それは本プロジェクトの在り方と非常によく似ている。

 さらに永岡のドローイングアニメーションが示すのは、この作者にとっての「ドローイング」には描くだけではなく、消す行為も含まれているということだ。そう考えると映像作品《球体になる家》のなかで、永岡がファレ邸の粘土模型を転がす姿は、ル・コルビュジエのその後の作品に連なる箱型建築の歴史を「消している」のだと解釈することもできる。現在の社会を覆う近代以降に引かれた線を消していくと、その下から古来より引かれた伝統的な線が表れてくる。現代文明の利便性をいったん忘却し、古人が引いてきた線に再び接続してそれを延長して行くこと。痕跡としての人類の営為の消去、顕現、延長は、永岡がドローイングアニメーションで行っていた行為と重なる。

 「ペインティング」に比べて「ドローイング」はより身体的であり、過程的である。線を一本引けば、そこでなにかが決定される。ドローイングの制作はその連続によって成り立っている。線の集積は全体像としての「図」を形成するが、それぞれの線には行為と時間が記憶されている。新たな線を引くことは未知の未来を切り開くことであり、引かれた線は過去の記憶の痕跡である。「球体の家」は未知の未来と、過去からの記憶の二つの領域に属している。古人の知恵に学びつつ、未だかつて存在したことのない新しい生活像を描いていく。空想的な世界を作者自身が生きることで、そこに身体性が付与され、その過程自体が作品の一部となる。線を引く行為と生きていくための行為を重ねること。そのことによって「ドローイング」の概念を拡張する。それが「ドローイングのプロジェクト」としての本プロジェクトの目的であり、「ドローイング作家」としての永岡の野心なのかもしれない。

*展示情報
永岡 大輔 球体の家「回転と痕跡」
会期:2024年10月13日–11月24日 月〜木:11:00 〜 17:00、日:11:00 〜 18:00 定休日:金、土、祝 その他不定休日:10/14(月)、20(日)、22(火)、30(水)11/4(月)、14(木)、20(水)
会場:second 2.
住所:東京都国分寺市本町 4-12-4 1F (103)
URL:https://second02.com/top.html


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