村上春樹の楽譜
最近、声を出していない。
PCの作業が増えて、ほとんど人とも会わずにやれる仕事に従事しているせい。
別段、自分の声が好きでな訳でもないので 困ったことって訳ではないのだけれど、
ギターの練習をする際、弾き語りする時に「声がコントロールしづらくなってて」やや、練習に難儀する。「最近、あまり声を発していないかも」と
気づいたのはその時だった。
ギターを練習するのも歌うのも、「人と喋りたくないから、代わりに発散できるものを何か」という目的で、2020年のコロナ自粛を機に始めたものだ。
しかし、そのギター、弾き語りが「人と喋らないから声帯が鈍ってる」という状態になっているのは、不満だった。
そこで、「声帯を日常的に使うための軽い筋トレ」として 僕が考えた方法は
『村上春樹の小説を声に出して読む』という方法だ。
なぜ、村上春樹なのか?と聞かれたらこう答える。
「エリック・サティみたいな環境音楽的に、ノイズの少ない文体だと感じるので、感情の起伏もなく淡々と読めると思ったから。」
実際、読み上げてみると、とてもスムーズで早口でも音読可能な
いい文章だった。
ネットの記事で読んだことがある。
「村上春樹の文章には音楽(ジャズ)的なリズムが底にある。」って。
ふうん、だから音読しやすいのかなあ?
とか、安直で短絡的に鵜呑みにして そんな気がしてる。
村上春樹の小説を音読していて、いい効果もある。
彼の細やかな文章に触れていると
やや創作意欲が湧いてくる、という点。
自分の精神世界のパーソナルスペースが拡張したような気持ちになる。
森の中の木漏れ日、静かな平日の昼間の一人きりのキッチン、ワープロのカタカタした音。ジャズバー。そういう、村上さんの世界観の明るい面に触れたり、「日常に地続きで行われている残虐非道な拷問」との距離感の近さや、「奇妙で不可思議な魔法が、ぼろいホテルの廊下で息づく世界観」のひんやりと冷たい温度とか。
細やかに 色々と想像する余地を限りなく広めてくれるから。
僕は、物語は好きじゃない。
どちらかといえば 情景スケッチが好きだし 記録が好きだ。
[物語]とは、物事を理解しやすくするための あくまで”つなぎ”にすぎない。
事象を並べた結果、鑑賞者が勝手に描き出すラインのことであれ、と思っている。
作者が最初にそのラインを引いて作ったような「ゴールの決められた物語」は、正直読む気がしない。そういうのは、細部を読む時間が無駄だからプロットだけ読ませて貰えばそれでいいと思う。
村上春樹は「その電話が鳴った時、僕はスパゲティを茹でていた」
という一文から、物語の全体の質量を感じたという。運慶が仁王像を「木に埋まってるのを掘り起こしただけ。僕が彫ったんじゃない。」と言った、あの感覚に近いんだと思う。
日常も非日常(異常)も
平たく同じテーブルに並べてしまう彼の小説は
とてもとても清々しく、清潔で落ち着く。
彼は、世界を掘り起こしただけ。その世界を彫るのは、読み手自身だ、という雰囲気が大好きだ。
よくある、物語の”いいこと”も”悪いこと”も、書き手の主観のコントラストにすぎず、要はただの演出要素なんだ、と気づかせてくれる。
淡々と、事実。
頭の中も現実も、優劣がなく、互いに干渉しあっていて
混沌とした点を 離れて観て
線でつなげるような遊び心を、村上小説はくれる。是非読んでみて。
この文章も、声に出して書いてる。
ちょっとした散文を
文章でスケッチしておこうかなと思ったのも、
村上春樹の「若い読者のための短編小説案内」を読んだからだ。
僕は映像喫茶「蜃気楼」を、インターネット上で運営しているので
何か「読み物」も提供したいなあと常々思ったりして。
だって 喫茶店ってなんか 店に置いてある知らない本をパラパラと読んだりするじゃない・・・?
(昔、仲間たちと「喫茶店で読むためのマガジン」を作ったことがある。
その感覚を思い出したので、また
自分の喫茶店でも提供しようと思った次第です。)
2021/4/12 ppp
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