男の目から見た『赤毛のアン』の誤解と偏見
今年の4月から46年ぶりに『アン・シャーリー』がアニメ化されます。
日本では『赤毛のアン』というタイトルで愛されている普及の名作です。
直近では、BS12で『花子とアン』の再放送もしていますが、随所に原作のオマージュが出てきました。
そんな『赤毛のアン』ですが、意外と知られていないことも多いです。
アンファンには今更だと思いますが、松本侑子さんの訳本や考察本などを読んで、誤解されていると気付いたことを上げてみます。
1.子供向けの話である
日本では『赤毛のアン』としてアニメで知ることがほとんどなので仕方ないですが、アニメでは全8巻のうちの1巻しか描かれていません。
アンの子供時代の話しか出てこないので、当然児童文学なのかと勘違いしがちですが、原作では8巻まであり、アンに孫ができるところまで描かれています。
途中で終わってしまうのは、『三国志(演義)』と似てますね。
『三国志(演義)』は諸葛亮孔明がなくなった時点で話が終わるものが多いですが、『三国志(演義)』で例えるならば諸葛亮死去どころか、赤壁の戦いで活躍した周瑜死去くらいで終わる感じです。
確かに一番面白いのはアンの1巻(赤毛のアン;Anne of Green Gables)の幼少期から思春期の話ですが、実際には続きがあるということを知らない人があまりにも多いです。
今回は3巻(アンの愛情;Anne of the Island)までやるということで、とても楽しみです。
2.かわいそうな孤児の話である
『赤毛のアン』は孤児であるアンがカスバート家で引き取られるところから始まります。
(アニメの前日譚『こんにちは アン 〜Before Green Gables』はモンゴメリの原作にはないです)
小説の1巻はかわいそうな孤児だったアンがカスバート家に受け入れられ学校を卒業するまでという感じです。
アニメ『赤毛のアン』でも描かれているところですね。
ですが2巻(アンの青春;Anne of Avonlea)ではアンは小学校教師となり、3巻では自身も進学します。(代わりに別の孤児は出てきますが)
自分で学費を稼いで進学するのは立派ですが、苦学生という感じではないです。
何より、アンが年相応の分別を備えた大人の女性になってしまい、子供の頃の無邪気な活発さがなくなってしまうので、優等生過ぎて面白みに欠ける感があります。
アンの作者のモンゴメリは、1巻が流行って続編を書かされたそうです。
『ドラゴンボール』が大ヒットして自分の意思で辞められなくなった鳥山明を彷彿させますね。
2巻では代わりにデイヴィとドーラという孤児の双子(特にデイヴィ)が出てくるのも、孫悟空の息子の悟飯と悟天(特に悟天)が主人公になる『ドラゴンボール』っぽいですね。
3.女性向けの話である
確かに19世紀から20世紀初頭のカナダにおける女性の社会進出など、女性向けとして読める箇所は多いです。
でも、ギルバートとの恋愛小説としても読むことができます。
1巻ではギルバートとの友情が復活するところで終わってしまい、尻切れトンボ感がぬぐえません。
ちなみにネタバレになりますが、徐々に2人は距離を縮めて、5巻(アンの夢の家;Anne's House of Dreams)でようやく結婚します。
そこまで描くことで、石板でギルバートの頭を打ちぬいた有名なシーン(通称:ハードコアン)も伏線回収になります。
・さいごに
今までは日本では圧倒的に女性・子供向け文学として知られてましたが、今回はこれを機により深くアンの世界観を知る人が増えるのではないでしょうか?
そして、単なる児童文学でないことをより多くの方に知ってもらえればと思います。