『プリズム』参加者レポート⑧
レポート作成者:匿名
普段は演劇と無関係だけど興味がある、ということで今回のワークショップに応募しました。
「演劇」や「ワークショップ」、「応募」、「演劇界のギバー」、どの部分を取っても自分にとってはすこしずつだけハードルが高いような感じがしています。でもやっぱり興味はあったから、最初から外の人という立ち位置でなら行ってもいいのかもと思いました。界隈って名前がついていると外の人にもなりやすい気がして、うれしいことだと思います。実際に応募してみる中で、比較的遊びに行きやすいように入り口を開けていてくれたように感じました。すごくありがたかった。
ワークショップ自体の内容は思っていたよりもシンプルというか、注文されてこたえる/説明や助言を聞くといった作業のようなものとはすこし違って、自己紹介を兼ねて漫才をしたあとに本読みとそれに即した動き?を2回して感想の交換をするということをしました。他の誰かになろうとするというよりは自分と他の誰かの境界を双方から曖昧にしていく、という感じ。
漫才。視線を受けていることをまず認識しましょう、ということらしかった。他の人に見られながら喋ったり動いたりするのは、多分同時に自分にもなろうとしてしまってすごく難しい。緊張......と思いながら自己紹介するみたいに(自己紹介ではあるけれど)、余計にたくさん動いてしまう。他の参加者のみなさんをみていると、動作が、特徴の強調に見えてくるから不思議だと思った。全員おもしろくて、全員がおもしろいことは奇妙なことだった気がしている。見え方が変わったのか再発見したのか私には判別がつかないけれど、かたちや場を一度通過したおかげでそうなったのは間違いない。
私が気付いたこと、今更かもしれないけれど発表させてほしい。見られている人の動きには動かない場合と動く場合があり、声色や話し方がある。
脚本を読んだ。2回読んだけどわかることってあんまりない。この人たちがこういう集まりで最後こうなる、くらいのこと、こういう口調の人で年齢がこのくらい、性別、人間関係。多分会うのであれば初対面、なんなら一目でわかるようなこと、をたくさん考えながら同じ文章を2回読むことで少しずつ情報を不足させながら理解していく。いない人に会うための手段だと思っておもしろかった。声に出して読む分、読書とは違う知り方をする気がして、自分がその人になろうとすることとか再現のこととかが念頭に置かれる。いない人に会おうとすると時間がかかるから大変だと思った。時間がかかることはおもしろいとはいえ。
2回読んだあと、手元にあった紙束は置くように指示された。覚えている限りでいいので、覚えていないところは各々の裁量で穴埋めしながら、流れをなぞってください。ということを言われて、全員、ギリギリまでがんばって脚本を読んでいた。
そんなことをしても当然完璧に思い出せるはずがなくて、しかし意外となんとかなるもので、これまた2回なんとかこなした我々は褒め合いの余裕まで見せた。すごい。演劇の人って慣れてるなあと思いながら、でも自分もさっきまで居酒屋に(脚本の場所は居酒屋だった)いた訳で、この人たちと談笑していた状況を不思議に思いながらワークショップに戻る。良かったところを話したり、他の班の動きを見て感心したり、ワークショップは良い意味で心がすこし忙しくなると思った。
夏休みとまったく同じことで、たのしいことをすると時間ははやくすぎる。今回ワークショップに参加してみて、まずすごくたのしくて、こうして感想をまとめるのもそう。それから、自分というものについてたくさん考えた日だったと思う。これは普段演劇と関係のない私が言うのできっとそうなのだが、演劇に限らず汎用性が高いんじゃないでしょうか。良い場所で良い時間だったし、受け取ることがすごく多かった。
また参加したいし、ドラマチック界隈以外でももうすこしだけ演劇との接点を持ちたいなと今は思っています。