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普通、こうあるべきという枠を超えるために

ドラマセラピーのグループセッションで
毎回必ず出てくる悩み。


それは
「私はフツウ(普通)じゃない、フツウにならなくちゃいけない」
ということです。

そもそも、フツウって、何なんでしょうね???


ドラマセラピーのグループは、大体8名くらいの参加者が集まってくださいます。
私は事前に、参加者の方それぞれからお話を伺い、
その人のテーマを探り出していきます。


その中で、
同じストーリーなんて、一度も出会ったことがありません。
みんな違うバックグラウンド、経験を持って、これまで来たのに、
なぜか私たちは
「みんなと同じであろう」としてしまうんですよね。

フツウ、◯◯歳で結婚しているべき、
フツウ、この年になったら、こうあるべき
フツウ、こんなことで落ち込んだりしない
フツウ、このくらい頑張れるはず・・・

フツウって、誰が決めたんでしょう?
フツウって、何なんでしょう?
どうして、私たちは「フツウ」という考えに振り回されるんでしょう?

私の髪は、天パなんですが、
小学校の頃は、このクルクルした髪が、
「ふつうじゃないからだめ」だと思っていました。
(先生にも、パーマかけたんでしょ!と怒られたし)


小学校の途中で、転校したのですが、
持っている道具が、みんなのと違うことで、
恥ずかしいと思っていました。(実際、それでからかわれたりしたし)


そういう小さなことから、
「みんなと同じじゃなくちゃいけない」
感じがしていたのでしょうね。


「フツウであるべき」という
メッセージを、
私たちはたくさん、たくさん
浴びて成長してきたんだと思います。

そしたら、フツウはこうなのに、私はだめだって、比べちゃいますよね。


考えてみたら
顔も性格も
みんな違うのに、
同じになろうとすることのほうが異常。

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同じであろうとするのは、
和を重んじる日本の文化の持つ、
あまりよくない点じゃないかなと思うのです。
(日本の集団の和にも素晴らしい点があるので、
どっちがいいとかじゃなくて)


社会が決めたルールというか、
常識というか、
「こうあってほしい」みたいなメッセージが
「フツウ」なら、
それに当てはまることが
自分の幸せかどうかを、考えてみるといいのではないかなと思います。

「ドラマセラピーで40代から人生のヒロインになる」
の本の中で、
常識から離れる勇気について書いていますが、
まさにこのことを言っています。


私たちは、
集団の中で、相手を思いやったり
協調性を大切にできる、素敵な人々ですが、
「フツウ」でいることが
輪を乱さないことではなく、
フツウでなくても、
和を重んじることができるんだってこと、
だから、
どんな自分でも、それでいいんだって、
受け入れられること、
これを望んでいるんだと思います。


フツウ、こうでしょ。
この言葉に惑わされない自分になるのは、
勇気がいることだけれど、
「フツウ」に合わせることが、本当はおかしいんだと気づいてください。
あなたには、
あなたの素晴らしい個性と、
あなただけのドラマがあるんですから。


それがフツウと違うのなら、
それは、あなたがちゃんと
自分のドラマを生きている証拠。


フツウのあり方に
とらわれず、
あなただけのオリジナルストーリーを生きてください。

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あなたの運命の人は、
フツウの女性ではなく、
そのオリジナルストーリーを生きている
あなたに
ひかれるはずです。

「フツウ」に振り回されない大人になることで、
未来の子どもたちに貢献できることも
たくさんあります。

「フツウこうあるべき」
なんて考えで
子どもたちが悩んだり、いじめたりしないですむように、
フツウに惑わされない大人でいたいですね。

本当は、みんな、「フツウ」じゃないから。


今日もお読み頂き、ありがとうございました!

あなたのドラマがもっともっと、素敵に輝きますように!

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