【不純空想科学・BL小説】虹の制空権 第二部 8章(終章) 人外放浪記
~半獣人×人造人間BL•SF小説、第二部完結~
麻雀は将棋やチェスとは異なるゲームだ。
実力だけでなく、幾分かは運にも左右される。それにしても、人間の詩織と半獣人のノイルでは、人造人間とロボットには歯が立たなかった。
人造人間ツァオレンは、その背後の流し場を灰皿代わりにしていた。煙草をくわえた唇をとがらして牌を切り、腕を後ろにまわして煙草の灰を落とした。
ロボットのJackといえば、勝っても負けてもなんら変わりはなかった。オートメーションのマシンのようにツモり続けた。シールドには並んだ牌の山が映りこんでいた。
詩織は額に汗を浮かべ、必死に手牌を睨んでいた。女性の髪の匂いで獣化してしまうノイルを気遣い丸刈りにした詩織だった。髪を落としたことで白いうなじが露わになり、踏み込みがたい美しさがいっそう際立つことになっていた。ただ、そんなことにすぐ気づくような翠玉荘の住民たちではなかった。
詩織と同じく初心者のノイルは、無骨な指でツモり、何度も山を崩してしまった。この麻雀そのものが、詩織の自分への気遣いであることくらい、さすがにわかっていた。きれいな詩織の前に座る野蛮な自分が恥ずかしくてたまらず、初心者らしすぎる失敗を繰り返した。だが、そのうち、初めて体験した勝負事が次第に彼を集中させていった。
彼には、実力伯仲した誰かとがっちり取っ組み合って力を比べる、という経験がこれまでほとんどない。かけっこだろうが、腕相撲だろうが、とにかく互角にわたりあえる人間などいないのだ。
だが、麻雀では、人間の詩織も、人造人間もロボットも、みな同じリングの上に上がり、全力を出し切り、対等に勝ち負けを競える。
夢中になってきたノイルは、ついマスクをひきおろし、ぺろり、と長い舌でその鼻先を舐めた。
「あ、ちょっと待ってください!」
ツァオレンの切った牌を見て、急に、ノイルが声をあげた。
「なんだよ、ポンする?」
「ロンです」
「なに!やられた!…いや、『ウーピン』はさっき、しおりんのが通ってるだろ!」
「詩織ちゃんの捨て牌であがったら、かわいそうだなって思って」
手牌を倒しながら、ノイルは答えた。対等な勝負事とはいえ、詩織ちゃんを負けさせるわけにはいかない、と思っている。
「ノイルさん、ありがとうございます」
「おかしいだろ!そんな麻雀!」
「ルール イハンデス」
「だよな!ジャッキー」
「デハ、点数計算シマス」
「いや、そこ、スルーなの!?」
淡々とJackが点棒を集めてノイルのケースに集める。
詩織がたまらずに噴き出した。めったにない、彼女の大笑だった。
「君たち、チョンボがぜんぜんわかってない!俺が説明するから聞きなさい」
「私、リンシャンカイホウ、あがってみたいです」
人外について研究する大学生、詩織が注目する時事ニュースのひとつが、人外の社会生活の在り方を整理する『隣在する人外のあり方を思案しその生活の改善と自立をめざす法』についてで、これを略してリンシャンカイホウと呼ばれている。
「そんなの、まだまだ!」
ツァオレンは次の煙草に火をつけると、初心者たちにルール解説を始めた。
途中からノイルは何のことだかわからなくなってきた。
耳で説明を聞くのは苦手だ。耳から入るものは風の音や鳥たちの声音に似ている。いつの間にかその旋律に聞きほれて、意味がわからなくなる。
ツァオレンの声は低く、ほどよい抑揚が耳に優しかった。
その顔を見た。なめらかな肌だった。額にかかる栗色の髪は、ふわふわで柔らかな秋の日差しを受けて輝く草原のようだ。
肌も髪の手触りも、ノイルは知っている。
喋る口元から見える舌の質感も申し分なかった。その舌の感触とぬくもり、力強さだって、彼はすでに知っていた。
その口に、ノイルの巨大すぎるものを含んでいるときには、さすがにその涼しい眉を寄せ、アイシールドの下に閉じられたまぶたをふるわせて、息の詰まりそうになるのを堪える表情を浮かべるのだろう。
彼の股間にうめられている時の顔は見たことがないが、ノイルは、ツァオレンがその端正な顔を歪ませて、施しくてれているのだと思っている(実は、人造人間はプラスチック・レンガの検品作業時と同じ顔でこの作業に従事していたのだが)。
手首のあたりも、巨漢の半獣人には、つい、つかみたくなるサイズだった。
細く美しい造形の指が、ノイルの後ろを割って奥にもぐりこみ、深淵を探ってくる感触も知っている。
抱いたときに吸い付く冷たい肌、その内部の熱と狭さ、半獣人におあつらえ向きの肉体の質量、すべてが的確にノイルを捉えるのだ。
出会った頃、ノイルの五感にとって存在感の薄っぺらいツァオレン。
しかし、今、見れば貧弱な体などはしていなかった。人間なら、細身で上背もあるしなやかな体だった。
となりでつくづくとツァオレンを見て、感じて、その違和感の正体をノイルはつかんだ。
匂いだ。
人造人間には、人間や獣人ならあるべき個別の匂いがない。だから個性が感じられない。
家電などの無機物と区別ができず、薄っぺらく感じられる。
見た目は人間だが、匂いは人間ではない。
これがツァオレンに当初感じた違和感だった。
だが、近頃、そんな人造人間にうっすらと匂いがついているように感じられる。懐かしい、安心できる匂いだ。
「…なんだよ、話、聞いてんのか?」
ツァオレンが隣のノイルにアイシールドを向けた。
「…あ、はい。勉強になりました」
「本当かよー?」
もう一人の初心者、詩織は自分のノートを取り出して、ツァオレンの解説と突き合わせている。
「ツァオレンさん、ひとつ質問が。もし、チョンボに誰も気づかなかったらどうなるんでしょう?」
「1時間タチマシタ、休憩シマショウ」
話に構わず、Jackが立ち上がった。
「十斗野サンカラノ サシイレガアリマス」
「圧力鍋はもうやめろよ」
「次ハ 焼イテミマス。詩織サン」
「はい」
詩織がノートをとじ、立ち上がった。次にとった行動は、まったく彼女らしくなかった。
「えい!」
ジーパンの片膝をめくりあげ、勢いよく脚をあげて、流し台にかけた。
「ちょ、ちょっと、詩織ちゃん…」
白いふくらはぎがむきだしに、と、見てはいけないと思いつつ、吸い寄せられたノイルの目に映ったのは鈍く光る金属だった。
「ドウゾ」
ゴウッと音を立て、詩織の膝から炎が噴き出した。
Jackがトングにつまんだ培養肉が焼かれる。
「焼キスギマシタ」
「火力が強すぎたでしょうか?」
肉はあっという間に炭になった。
「…それ、どうしたんですか?」
ノイルは目をパチパチさせた。
「Jackさんが、修理してくれたついでに火炎放射器にしてくれたんです。Jackさん、ありがとうございます」
「オヤスイ ゴヨウデス」
獣化したノイルが噛み砕いた詩織の義足。Jackが応急修理したのだ。内部がむき出しの構造になってしまっているが、Jackはおまけとして火炎放射器をつけてくれていた。
「新しい機能がついて、以前より便利になったように思います」
「そんなの、いつ使うんだよ。大学に持ち込めるのか?」
ツァオレンがあきれた声をあげた。
「おやつがなくなっちゃいましたね。そうだ、薄めるジュースがあった…」
詩織は冷蔵庫を開けた。システムOZの記憶域になっている冷蔵庫ではない。冷蔵庫として使用されている小さな冷蔵庫だ。
翠玉荘にはJackが組み立てたコンピューター、システムOZがある。モニターはテレビ画面、記憶域は2ドアの冷蔵庫を再利用して作られている。
もちろん、冷蔵庫としては利用できないので、共同炊事場には1ドアの冷蔵庫がもう1台設置されている。天井まで届く業務用の冷蔵庫も1台あるが、こちらは厳重に施錠されていて、使えるのかどうかもわからない。
Jackが乳酸菌飲料の白い原液を、どろりとコップに注いで流し台に並べた。詩織も、薄めるために水差しに水道の水を汲んだ。
「ツァオレンさん、それ原液ですよ!」
だが、ツァオレンは詩織が水を足すのを待たず、コップを取って飲んでしまっていた。
「ん?そうなの?」
「5倍ニ希釈シテ ノムノデス」
「そのまま飲んだら濃すぎるでしょう」
ノイルはあきれた。半獣人には到底飲めない甘さだ。だが、人造人間は水でも飲んだようにけろりとしている。
「おまえのも、こんなもんだよ」
ツァオレンはすまして、飲み干したコップを流しに置いた。
「…なに言ってんですか!?」
ノイルは意味を悟って、真っ赤になって大声をあげた。
「でも、私も濃い目の方が好きです」
詩織は何も気づかず、自分の分を飲んでいる。
「詩織ちゃんも何言ってんですか!」
「ノイルサン、オキライ デスカ?」
「…なんか、飲む気、失せますよ…」
ため息をつきながら、ノイルはマスクを引き下ろした。
乳酸菌飲料の甘酸っぱい匂いと、もうひとつの匂いがあった。
ツァオレンの匂いだ。
今、やっと、ノイルはツァオレンが、近頃醸しだしてきたその匂いの正体に気づいた。
何のことはない。
懐かしく安心できるはずである。
それは、彼が、この人造人間につけた、自分の匂いだった。
朝から晩まで抱き続け、醸造した濃厚な蜜を注ぎ込み、さんざん染みつけてやった半獣人の匂いだったのだ。
いつの間にか、共同炊事場のテーブルに触手が上ってきていた。
糧食用獣人の十斗野が自室から伸ばしてきた触手であった。
気づいた詩織は、皿に自分の乳酸菌飲料を移し、テーブルに置いた。触手は詩織の手を撫で、それから皿の縁を這い、白い液体に浸った。にぎやかな翠玉荘の住人たちの集まりに引き寄せられたようだ
(虹の制空権 第二部 終わり 第三部に続く)