ウマ娘で競馬始めた競馬歴1年が、無謀にも競馬本をコミケで出すに至ったワケ
オグリキャップ同人誌出します
この1週間、ずっと追込みで夏コミ新刊制作に取り掛かってて精神的にヤバいことになってましたが、なんとか入稿完了して本を出せそうになったのでこれを書いています。
今回出す本はこんなんです。
昭和末期から平成初期のバブル日本で、空前のブームを巻き起こした競走馬オグリキャップに関する当時の報道や競馬関係者、著名人の言説を収集、まとめたものです。コミックマーケット100の1日目、東シ77b"ドラゴニア”で頒布するから、気になったら来てね。
コミケWebカタログ掲載ページ
https://webcatalog.circle.ms/Perma/Circle/10248085/
で、まず謝らなくてはいけません。7月に下のツイートでオグリキャップの中央競馬での3年間の言説を収録と告知したんですが、その後の作業で「この調子では150ページを超えて大変なことになるぞ」と判明し、今回はまず最初の年である1988年のみに留めました。
フツー、オグリキャップと言ったら1990年の有馬記念を持ってくるところでしょうが、たまたま表紙画像を1988年の有馬記念にしていたお陰で助かった……。
さて、タイトルにあるように、去年ウマ娘にハマってからリアルも競馬始めた競馬歴1年が、なぜ無謀にもリアル競馬本を出そうと思ったのでしょうか。
なんで競馬本出そうと思ったの
ウマ娘はゲームにしてもアニメにしても、モデル競走馬で伝えられている話がシナリオの下敷きになっています。件のオグリキャップもウマ娘スピンオフの『ウマ娘 シンデレラグレイ』で漫画化されてますね。オグリキャップの話は「物語として長尺であり密度が高いから、アニメだと何クールも使ってしまう」という理由で、漫画連載を模索していたとウマ娘アニメのプロデューサーでシンデレラグレイの企画構成の伊藤隼之介氏が明らかにされていますが(当該記事)、それだけエピソードがある馬です。小学生の自分が初めて知った競走馬でもあります。
ただ、興味を持った馬の情報を集めるにつれ、結構いい加減な話(ストーリー)が巷で幅を利かせているんじゃないかと感じたことです(ウマ娘のシナリオではなく、様々な馬について競馬ファンの間で出回ってる話)。ある馬についての情報もだいぶ怪しかったり、仔馬時代の話を生産牧場関係者に聞くとメディアが盛ったエピソードだと示唆したとか。
これ、私の本来の領域であるミリタリーでも同様で、戦争や軍人、兵器にまつわる話には、怪しいか全くの創作が多く出回っています。
この問題に共通する原因として、当時の情報へのアクセスの困難性があると感じました。当時、実際になんと言われていたのか、調べるハードルが高いんですよ。でもまあ、戦争関係は国や大学機関が資料保管しているのも多いし、メディアもよく報じるし、研究者も多い。これまでの言説が誤りだったと判明するのは珍しくない。
ただ、競馬メディアは国会図書館にも納本されていないものが多く、有名どころでも、『競馬ブック』は新聞も雑誌も納本されるようになったのは2008年以降。”競馬の神様”と呼ばれた大川慶次郎が関与した『ケイシュウNEWS』は納本無し。そして、公共図書館、大学図書館でも競馬メディアはほとんど収蔵されてないんです。JRAのGate J.東京も少ない。栗東トレセンのお膝元の栗東市図書館は結構あったけど、『競馬ブック』も90年代中盤以降の収蔵。昔の競馬情報へのアクセスの困難性を感じました。(いいところあったら教えてください)
このように昔の情報へのアクセスが難しいため、記憶や口伝、後に出版された本に頼らざるを得ず、それがこの状況を招いているんではないかと考えました。オグリキャップは後の出版物が多い馬ですけど、当時のブームや空気を醸成したのは当時の報道や言論ですから、そこに当たるべきと考えました。その上でまとめ、資料として本にするか、という思いがありました。
「立身出世」は語られたのか
そして、研究者にも競走馬についての「語り」は時間とともに変化しているのでは、と考える方がいました。石岡学『「地方」と「努力」の現代史 ―アイドルホースと戦後日本』は、地方競馬出身のアイドルホースであるハイセイコー、オグリキャップ、そしてハルウララを取り上げ分析しています。
石岡氏によれば、ハイセイコー、オグリキャップ2頭の人気についてよく言われる、『「地方から這い上がってきた雑草がエリートを蹴散らす」という立身出世、あるいは下剋上の物語』について、「現役時代には必ずしも主流ではなかった。むしろ、それらは回顧的な語りの中で強化・再生産されてきた」と述べ、オグリキャップに至っては「死去時の報道になって突如あらわれたものに近い」としています。石岡氏はこの現象について、歴史社会学の「集合的記憶」の概念で説明し、情報が物語化していく過程を分析している。
最初にこれを読んだ時、面白いと感じたし、十分にあり得ることだと思いました。人の記憶は時間や外部との関わりとともに変化し、収まりのいい物語へ収束・定着していく。これ自体はよくある現象で、自分も似たようなことを「「10万人の宮崎勤」はあったのか」で調べたことがあります。
そして、石岡氏はこうも述べています。
「地方競馬出身」という事実は、それ単独では爆発的な人気をもたらす要素とはなり得ない、ということである。そして当然ながら、これらの馬が地方競馬出身であることをもって、「立身出世物語」の枠組みで語られた形跡もない。
石岡学『「地方」と「努力」の現代史 ―アイドルホースと戦後日本』
オグリキャップと地方、立身出世は当時から語られてない?
ハイセイコーのことはまだ調べてないので分かりませんが、オグリキャップに関して、『「地方競馬出身」という事実は、それ単独では爆発的な人気をもたらす要素とはなり得ない』という石岡氏の主張は、今も同意します。地方からの移籍馬は当時少なからずいたし、人気もなく忘れ去られている。
しかし、「「立身出世物語」の枠組みで語られた形跡もない」の部分については、個人的にオグリキャップ現役時の記事を調べていくうちに、明らかに石岡氏の主張と相反する事例が出てきました。オグリキャップの「立身出世物語」は当時から語られていた。それは、スポーツ紙の記事でです。
石岡氏は本の中で、資料的制約と「大衆的人気」のありようを知るうえでより適切だと判断し、「語り」の対象を新聞の全国紙と一般週刊誌を主とし、スポーツ紙や競馬雑誌は対象外としています。
それ自体は分かる面もあります。ただ、競馬専門誌はともかく、スポーツ紙を除外するのはどうだろうか。携帯でネットコンテンツが閲覧できるようになる以前、通勤電車内の大勢のサラリーマンは全国紙と同じようにスポーツ紙を読んでいたのは、ある年代より上なら御存知でしょう。そして、オグリキャップと同時期に全国的なブームになった人面魚は、東京スポーツの記事が火付け役でした。大衆的人気の影響力が大きいものを、分析で除外するのは不適当ではないでしょうか。
では、オグリキャップは実際にスポーツ紙でどう言われてたのか。まず、1989年10月の天皇賞秋の前にサンケイスポーツで「怪物オグリキャップ 盾盗り物語」という連載記事が組まれています。(下写真:サンケイスポーツ 1989年10月18日より引用)
「オグリキャップ盾盗り物語」。このタイトルは露骨なまでに立身出世を強調しています。これは油売りから美濃一国の国主となった斎藤道三(史実がどうとかは置いて)の立身出世を描いた司馬遼太郎『国盗り物語』が元ネタなのは明白でしょう。岐阜の地方競馬からやってきたオグリキャップが盾(天皇賞)を穫ることにオーバーラップさせているのです。
この他にもオグリキャップの地方競馬出身という属性から立身出世と絡めたものを挙げてみます。
オグリ 名も無い地方馬から身を起こして…天下盗りへ野武士の血が騒ぐ
サンケイスポーツ 1988年10月29日
また、1988年の天皇賞秋におけるオグリキャップとタマモクロスの対決では、両馬がともに小牧場(それも片方は倒産している)の安馬だったことが強調され、この文脈で「出世」が使われてもいる例もありました。
ともに超安馬出身 10・30天皇賞制するのはどっち タマモオグリ出世物語
東京スポーツ 1988年10月14日
このように、スポーツ紙においては、オグリキャップと立身出世は密接に結びついて語られたと考えられます。「シンデレラボーイ」とも呼ばれていました。また、スポーツ紙での掲載ですが、著名人の中でも同様のとらえ方をしている人がいました。俳優の西田敏行です。
ズバリ、オグリキャップの一本買い! 地方競馬出身ながら中央で頑張る生きざまが、同じ地方出身の僕の姿とオーバーラップして、とても他人事とは思えないもの。
西田敏行 日刊スポーツ 1988年12月25日
しかし、石岡氏は前述のようにスポーツ紙を分析から除外していますので、このような事実の提示は意味がないことかもしれません。ただ、オグリキャップが人気を集めた理由を立身出世に求める言説が後年定着した例として、石岡氏は『週刊文春』の2010年7月15日号の記事を挙げています。ところが、この引用部はスポーツ紙競馬担当記者の言であり、これを例に挙げるのは不適当でしょう。当時から立身出世と言っていたようなスポーツ紙記者からの情報を参照していたなら、集合的記憶の例としては不適当だからです。
週刊誌でも言われていた「立身出世」
また、石岡氏が分析対象としている週刊誌にも地方と立身出世を絡める記載はありました。主題は石岡氏がオグリキャップ人気をめぐる「語りのキーワード」としている「酷使」に関連する記事ですが(これに関しては、現在のオグリについての言説は、当時言われてた「酷使」という要素が薄いと同意する)、さわりのオグリキャップの説明にはこうあります。
華やかな係累もなく、地方から上京し、持ち前のパワーで超メジャーに駆け登ったオグリキャップ。
週間読売 1990年12月16日
また、立身出世言説は石岡氏の言うようにオグリキャップ死亡後ではなく、引退レース直後にも週刊誌で見られます。
いってみれば馬の世界の今太閤。公営競馬から身を起こし、生涯総獲得賞金額九億千二百万円余と、日本ばかりか世界一の賞金王にのしあがったのだから、まさに競馬界の出世頭であった。
週刊新潮 1991年1月17日
「オグリには地方競馬から中央入りして重賞6連勝したというサクセスストーリがついて回り、日本人の判官ビイキも手伝っている」(※オグリキャップのシンジケート価格について)
白井透(サラブレッド血統センター) 週刊ポスト 1991年2月1日
少なくとも、このことからも石岡氏の分析対象の中にも『「立身出世物語」の枠組みで語られた形跡』はあったといえるでしょう。
こうは書いたものの、石岡氏の本の論旨に関して大筋では同意しています。オグリキャップの人気は地方出身という要素だけでないという部分はその通りと思うし、立身出世要素が時代とともに強化されてきた面は確実にあると思います。しかし、同書では定量的な分析が提示されておらず、何をもって「主流的ではなかった」「ない」と書かれたのか。この点が不可解です。
まあ、『「地方」と「努力」の現代史 ―アイドルホースと戦後日本』の主張に対する反発心があったんですね。それが今回の同人誌を書いた理由の一つでもあります。あ、あと1988年のオグリキャップについて、「それほどのドラマ性は備えていない「並の強い馬」」と書いてた事に、「さすがにそれはないだろ」と思ったのもありますが。
同人誌の話に戻って
鳴り物入りで笠松からやってきたものの実力を怪しまれていたオグリキャップが関西で重賞3連勝で名を上げ、「時計大したことないじゃん。過大評価」と言われていた関東にやってくると、NZTで7馬身差1着、安田記念より速い時計を出して驚愕させ、タマモクロスとの芦毛対決に挑む。
今回の本で対象にした1988年は、スポーツ紙を中心にこんな形でオグリキャップの話が広まっていったんだなあというのが、当時の記事を調べての私の理解です。そして、本ではオグリキャップにとどまらず、同期のライバル馬や、クラシック3レースについての言説も収録しています。
色々な関係で取り上げなかったのもあり、個人的にはサッカーボーイのマイルチャンピオンシップ入れられなかったのは心残りがあるのですが、それでも84ページでいろいろな報道や発言をカバーはしたつもりです。巻末の索引の一部をあげますが、こういう人達が出てきます。フルネーム分からなかった人は所属・肩書をカッコで入れています。
なお、今回の本は事実を示すものでなく、「当時こんなことが言われていた、報道されていた」というのを示すものです。各陣営関係者の発言は一致せず、コロコロ変わるし、同じ馬の報道でも新聞によってトーンがまるで違うし、怪情報も飛び交う。それひっくるめて、読んでみて当時どういう雰囲気が醸成されたのかを感じられたつもりになって頂ければ、うれしいかなあと。
というわけで、コミケでお待ちしております。なお、書店委託はメロンブックス、とらのあなで予定しておりますで、そのうち告知します。
※8月7日22時追記:書店委託開始しました。以下のメロンブックス、とらのあなの2書店です。
最後に。当時の紙面情報や記事を積極的にnoteで公開している東スポさんは本当にありがたいのでみんな読もうね。